アメリカ建国の英雄は民主制を否定していた? 「1つの国家」と言えない政治体制・社会だった

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佐々木:初期のアメリカは「1つの国家」と言えない政治体制・社会だったのですね。

石川:「分断するアメリカ」さらに「分極化するアメリカ」という言葉は、いまでも選挙のたびにアメリカ観察者たちによって使われますが、アメリカには、その建国の頃から、国家体制をめぐる対立がありました。初期のアメリカでいうと「フェデラリスツ(Federalists、連邦派)」「リパブリカンズ(Republicans、州主権派)」という2つの対立です。この対立は、初代大統領ジョージ・ワシントンの頃にはすでに明らかになり、第2代大統領ジョン・アダムズの頃には苛烈なものとなり、そして第6代大統領のジョン・クインジー・アダムズまでこれは続きます。

1つの国家か、州の自治か

まず独立した直後、新国家であるアメリカをどうするかに関して、もともと「1つの国家を作るべきかどうか」の対立がありました。つまり、フェデラリスツ(1つの国家を作るべき)とアンチフェデラリスツ(各州の自治でよい、中央政府など不要)の対立です。

この対立は、独立戦争の英雄でありカリスマであるワシントンをまず大統領に据えたことで、1つの国家でやっていく、つまり連邦政府を作ろうということで一段落します。ただ、1つの国家という枠組みを作ったとしても、新たな国家体制を「連邦政府主導でやっていく」のか、それとも依然として主権的自立性を持った「州政府の合意によって連邦政府を補完的政府として利用する」のか、その対立は残ったままでした。

フェデラリスツというのは連邦政府主導の立場であり、リパブリカンズというのはあくまでも州権論の立場です。つまり、リパブリカンズにとってみれば、政府というのは「あくまでも国民の福祉のための道具だ」という考え方です。一方、フェデラリスツにとって連邦政府というのは「諸外国に対してアメリカという独立国家の主権を主張するための欠くべからざるもの」だということ、そして国内の諸対立を調整するためのものでもありました。

初期の歴代大統領の顔ぶれを見ていくと、アメリカの分裂というのは実に深刻だということがわかります。ジョージ・ワシントン政権の1期目こそ、彼のカリスマもあって挙国一致の状態を保ちましたが、2期目からはもうリパブリカンズと目されるメンバーが内閣から離脱してしまいます。

これはアメリカ史家リチャード・ホーフスタッターが指摘しているのですが、アメリカ合衆国は、革命によって誕生した国家です。革命政権は「挙国一致」の状態が基本であって、政党や党派、いわゆる「パーティ(party、党)」というものは本来あってはならないものだったのです。

これは当然で、例えばフランス革命においても、ひとつの共和国でやっていくということで、反共和制、反革命勢力というのはことごとくギロチンに送られたのであり、革命政権では野党がいるということはありえないわけです。ですから、あくまでも非公式なのですが、非公式ながら存在していた“野党”であるリパブリカンズが、英雄ワシントンの2期目にはもうほぼ内閣を去り、距離を置いてしまったというのは大変なことだったのです。

ワシントン政権の2期目に早くも分断が顕在化していたアメリカですが、それでもワシントンとアダムズの2つの政権で、建国初期における連邦政府の鋳型をなんとか作りました。ただ、それが必ずしも民意に適っていたわけではないとわかるのが、1800年の大統領選挙で“野党”であるトマス・ジェファソンが第3代大統領に当選してからです。ここから「共和制から民主制への転換の第1期」というべき時代を迎えます。

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