アメリカ建国の英雄は民主制を否定していた? 「1つの国家」と言えない政治体制・社会だった
佐々木:現在のアメリカ政治、大統領制とはだいぶ様相が違っていたのですね。
石川:アメリカが独立した当時、旧世界の文明国はみな王国ですから、そこに王国ではない国ができるというのは、当時の国際的な常識で見れば、危険な勢力がアメリカを占拠しているように見えたはずです。それにもかかわらず、アメリカは結局、独立を成し遂げました。その理由を考えてみることは重要だと思います。
当時、大西洋世界の知識人の間では、いわゆる共和主義思想というものは、古典古来のギリシャ・ローマ以来の知的体系として共有されていました。「王が君臨しているから共和制ではない」ということでは必ずしもなく、例えばイギリスのように、それぞれの身分の臣民がバランスよく存在し、彼らの権利が権利章典などで保障されている国は、キングはいるけど十分にコモンウェルス(共和国)であるといえるわけです。
その文脈からすれば、国王の存在を抜きにしても、共和主義思想の文脈においては、少なくともインテリ同士の間では話は通じていた可能性はあります。ですから、知識人階級においてはアメリカの独立はそこまで破天荒とは思われなかったかもしれません。とくにワシントン、アダムズの時代では、アメリカの名望家たちはまだヨーロッパの知識人たちと通じている間柄でした。
名望家支配の時代
というのは、アメリカの民衆はどうだったかというと、アメリカには貴族こそいないのですが、あの時代の人々の気質として、ジェントルマン(紳士階級)に対する服従はかなり強固なものがありました。名望家である政治家に乱暴な批判をするような度胸のある人たちはいませんでした。ですから、政治家たちも、民意というのはあまり気にせずにパブリック(公共)のためによかれと思うことをやっていたのが、初代大統領と第2代大統領です。
第3代大統領のジェファソンも、当然ながら建国の父ですから名望家なのですが、アメリカ史家ゴードン・ウッドによれば、だいたい1780年代あたりから、つまり独立戦争が進行しているあたりから、民意というものが次第に政治的空間の中で重要な位置を占めはじめてきたと論じています。そして、アメリカの民意とは、やはり農民の共和国なのですから彼らの意思であり、それを掬い上げたのがジェファソンでした。
ジェファソン、それから第4代のマディソン、第5代モンローですが、彼らはみなヴァジニアの出身です。初代大統領ワシントンもヴァジニアです。第2代大統領のアダムズと第6代大統領のジョン・クインジー・アダムズは親子でありマサチューセッツ出身で、ヴァジニアと並ぶ有力州であるマサチューセッツの一家が食い込んでいる。6人のうち、3分の1はアダムズ家から、それ以外はヴァジニアからというのがアメリカ建国の第1期で、建国から第6代大統領までは「ヴァジニア・ダイナスティー(ヴァジニア王朝)」と呼ばれています。
私はこの時代を「共和制の時代」と呼んでいるんですが、民意をまだそれほど強く意識せずにパブリックのために政治を行うジェントルマン支配の時代です。ですから、この時期の大統領というのは、一応は選挙の形はとっていますが、名望家同士の間で「次は誰か」というのがほぼ決まっているようなところがありました。