「愛犬家連続殺人」死刑囚息子が語る壮絶な人生 「自分もいつ殺されてもおかしくなかった」
「アメリカに無事に着いて、ちゃんと着いたよって(母親に)連絡しようとしたら誰も(電話に)出なくて。仲の良かった友達に連絡したら“お前の母親が逮捕されてニュースすごいよ”と教えられました。アメリカに着いたばかりなのにこれからどうなるのか? お金はどうするのか? 頭が真っ白になり途方に暮れました。
しばらくしてようやく祖母と連絡がつきました。すると祖母は『お前は3カ月そっちにいろ。生活費は何とかするから。忙しいからまた連絡する』と言われ、何が何だかわかりませんでした。それからまた少し経って祖母から連絡があり、事件について聞きました。関根なら事件を起こすことはありうる、でも母親が一緒と聞いて愕然としました。
関根に脅されてやったのだろう、何かの間違いだろうと思いました。思い起こせば、最後に会った母親は飛行機に乗り遅れないよう、送り出すのに焦っている感じでした。『忘れ物はないか? 後で送るから向こうで食べたいものはないか?』と心配してくれていましたが、今から思えば、迫っている逮捕を予感していたのかもしれないです」
“犯人の息子”暗転する人生
そのままアメリカの高校に入るつもりだった和春氏の人生は暗転する。1995年3月、密かに帰国して自宅に戻るが、周囲の目もあり自宅にはいられなくなる。多感な時期の少年にとってはあまりに過酷な環境だった。
その後、祖母のきょうだいの家など親戚の家を転々としながら高校には行かず、知り合いの飲食店などで働きながら生計を立てていく。しかし、それも長くは続かず社員寮がある会社を渡り歩く。
「“親は親、子は子”と言ってくれる友達も多くて、これまでと変わらず接してくれましたが、仕事先などでは母親のことや自分の素性については隠して生きてきました」(和春氏)
周りの同世代の友人たちが青春を謳歌する一方で、高校にも、大学にも行けず、母のことは隠して生きてきた和春氏。その後、20歳で知り合った女性と結婚。相手の家族にはありのままを話し受け入れてもらったという。妻の親の家に住む形で、ようやく和春氏の流転の日々に終止符が打たれる。
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