なぜ日本人はチャイナドレスが好きか? 大戦前の複雑な心境が生んだミステリー

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霊媒画?

久米民十郎『支那の踊り』 1920年
油彩・カンヴァス 個人蔵

次の『支那の踊り』は、新聞に「霊媒画」と書かれたミステリアスな一点だ。

「1920年代にしては飛び抜けて新しい感覚です。踊っている女性が強烈な曲線を描いています。モダンな造形と中国趣味が重ね合わさった作品ではないかと思います」と貝塚さん。

作者の久米民十郎が新聞記者に語ったところでは、久米は巫女のパフォーマンスを利用して絵を描いた。憑依した巫女が描いた絵を基に、色を塗り、形を整えて仕上げるのだという。

裕福な家に生まれた久米は、ロンドンの美術学校で学んだ。30歳のとき、翌日ヨーロッパに発つために横浜のホテルに泊まっていたところ、関東大震災が起こり、ホテルが崩れて圧死してしまう。残された作品は少なく、この絵は7年前、東京・目白台の永青文庫の倉庫から発見された。永青文庫は細川家に伝来する資料や美術品を保存、公開している美術館だ。久米と細川護立(細川護煕元首相の祖父)に交流があったことから、護立の所蔵品だったと考えられている。

なぜ、日本人画家がチャイナドレスを描くのか

しかし、なぜ日本人が西洋から入ってきた油絵で中国服の女性を描いたのか?

貝塚さんはその理由を探っていく。今回の出品作が描かれた1910年代から40年代は、明治の終わりから昭和前期にあたる。満州事変、日中戦争から太平洋戦争に至る時期に、何人もの日本人洋画家が中国服の女性を描いた。

「これは奇妙な現象と言ってもいい。出品作29点の約半分は中国人ではなく、日本人に中国服を着せて、東京で描かれています」

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