私が届ける野菜!「食べチョク」女社長の凄腕 農家の娘がコロナで直面した、日本の農業危機
食べチョクでは、ユーザーからの問い合わせ対応を生産者に代わり、一手に引き受けている。些細なクレームや確認の問い合わせでも、家族経営の生産者にとっては負担だ。しかし、フルタイム勤務の社員8人体制ではすぐにパンク状態となり、業務委託やアルバイトなど20人以上の採用に追われた。辞めていったスタッフにも手伝いに来てもらい、まさに猫の手も借りたい状態だった。
秋元自身も目が回るような毎日だった。4月以降、平日は資金調達に駆けずり回った。2019年10月に調達したばかりの2億円は、驚くべき速さで蒸発していく。会社の広告塔として、取材依頼にも積極的に応じた。送料負担で膨張してしまった赤字と、テレビCMの広告費、そして一気に増えた人件費が、29歳の自分の肩にのしかかっていた。深夜や土日は問い合わせ対応に追われ、朝4時までパソコンに向かう日々が続いた。
消費者のみならず、生産者のフォローも大変だった。業務用から消費者向けに切り替えたことで、慣れない小分け梱包や発送作業に追われる生産者が急増。どんなに気をつけても、手作業ゆえにミスが生じる。それでも野菜農家では月700万円を、海産物では月1500万円を売り上げる出品者が現れるようになった。運営と生産者、消費者が、何とかバランスを保ちながら拡大していった。
食べチョクはCM効果も手伝い、8月に入っても過去最高の売上高を更新し続けている。1月から幹部採用を開始しており、社員数は20人まで増えた。6億円の資金調達も決定。秋元は「これまではゼロを1にする起業家フェーズだったが、今年は経営者元年にしたい」と力を込める。
農家の娘が”DeNAマフィア”になるまで
25歳で起業した秋元だが、およそベンチャーとは無縁に送ってきた人生である。神奈川県相模原市で農家を営む家に生まれ、母親からは「将来は公務員になりなさい」「農家は儲からないけど、株は儲かるから勉強しなさい」と言われ続けた。慶應義塾大学理工学部では金融工学を学び、就職活動では証券会社や東京証券取引所を受けていた。親の望む堅実で安定した生活を手に入れるはずだった。
だが、友人に誘われて参加した、DeNAの会社説明会で何かが弾けた。会長で創業者でもある南場智子の「リスクを取りまくる」という話に刺激を受け、その後にプレゼンテーションをした社員が入社1年目と知って驚いた。堂々とした姿から30歳位に見えたのだ。「とにかく社員の成長過程に魅力を感じた」(秋元)。
迷わずDeNAに入社、3年半で4つの事業を経験することになるが、このうち2つの事業が潰れている。「DeNAで学んだことは未知のことを恐れないマインド」と言うとおり、広告営業から新規事業の立ち上げ、ゲーム事業の版権ビジネスなど、さまざまな仕事に貪欲に取り組んだ。毎日が充実し、DeNAに骨を埋めるつもりだった。
秋元が社会人として活躍する間、実家は農業を廃業。久しぶりに帰った実家の荒れ果てた畑を見てショックを受けた。ここで初めて農業ビジネスを構想するのだが、同時にDeNAを辞めることを悟らなければならなかった。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら