日本人の知らない旧満州「9.18」反日施設の実態 その建物には「勿忘"九・一八"」と記されていた

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溥儀の皇宮は、三角屋根を載せた西洋風の2階建ての四角い建物が敷地の中にいくつも並んでいる。それぞれが、溥儀の居室であったり、執務や会見のためのものであったり、あるいは夫人の生活空間であったものだ。内装や家具は当時のものをそのまま保存している。溥儀専用の散髪室もある。

そこで中心になるのは、「緝熙楼(しょうきろう)」と呼ばれる溥儀の暮らした居住空間としての建物だった。ところが、その正面玄関前のスペースには、そこをすべて覆い尽くしてしまいそうなほど、巨大な黒色の石盤が増設されてあった。

「勿忘“九・一八”」と書かれた石盤(写真:筆者撮影)

「勿忘“九・一八” 江澤民」

そういう文字が金色で彫り抜かれている。署名のとおり、江沢民・元国家主席の揮毫だ。

「忘れる勿(なか)れ“九・一八”」

9月18日を中国人ならば忘れてはならない――。

もう1つの半日博物館の存在

歴史的保存物に、あえてこのようなものを置き、反日教育を推し進めた江沢民は、溥儀の皇宮の脇にもう1つ「東北淪陥史陳列館」という巨大な博物館を建てている。エントランスホールには、やはり「勿忘9・18」の文字を掲げ、その下に「日本侵略中国東北史実展覧」とあった。つまり、日本の中国侵略の歴史を伝えるものだ。

順路に従って最初の展示スペースに入ろうとすると、間口の脇の壁に中国語と英語とそれに日本語で文章が書かれていた。中国語で「前言」、日本語では「始めに」とあるそこには、こんな記載があった。あえてその全文を示してみる。

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展示スペース前に掲出されている「前言」(写真:筆者撮影)

<炎帝と黄帝の子孫である中国人は、1931年9月18日、日本が凶暴にも内外を驚愕させる“九・一八事変”を引き起こし、武力で中国東北を侵略・占領して偽満州国をつくり、ファッショ的植民地支配を行って東北人民を奴隷化し、ほしいままに資源を収奪すること14年の長きにわたったことを、誰ひとりとして忘れるはずはない。

しかし、日本国内の一部の人々はこの時期の歴史を正視することが出来ず、甚だしくそれを歪曲・否認さえしている。そして、現在、中国(国内)の青少年の中には、日本が中国侵略で行ったファッショ的植民地支配の蛮行が分からず、日本軍国主義、偽満州国とは何ものであるかが分からず、銃剣による支配下でかつて中国人民が受けた屈辱と苦難が分からず、抗日戦争の困難さと比類のなさが分からない者がすでに少なくない。

それゆえ、私たちは大量の歴史的図面、文物、また、歴史証人の証言などの音声・画像資料をもって展示を作り、当時の歴史を再現したが、これは歴史とはいかなる人も書き替えることが出来ないものであることを証明するためである。すなわち、広範な人民にこの悲惨で苦痛な屈辱の歴史をしっかりと記憶させ、国の強化を図って中華民族の偉大な復興を実現し、歴史の悲劇の再演を許さないためである。>

反日の意図が見て取れる。

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