3つめは「『エッセンシャルワーカー』の報酬格差も広がる」ことである。
コロナ禍において、止めることができない企業活動の最前線を支える「エッセンシャルワーカー」と呼ばれる人たちの重要性が再認識されている。
病院や介護の現場のみならず、製造現場や鉄道、物流の現場、さらには土木や建設、小売りなどの現場で必死に働く人たちがいるからこそ、私たちの社会生活は保たれているのは間違いない。
在宅勤務やリモートワークの広がりが進みつつあるが、完全にリモートワークに移行できる仕事は全体の3分の1程度にすぎず、3分の2の仕事はリモートワークに向かない、もしくは不可能な仕事だと言われている。
「エッセンシャルワーカー」が社会の土台であることは、ポストコロナにおいても変わることはないが、それではその世界で報酬格差が広がらないかといえば、そうではない。
「エッセンシャルワーカー」には2つのタイプの人材がいる。1つめのタイプは、「マニュアルワーカー」だ。決められたルーチンワークをマニュアルどおりにこなすだけの人たちである。
こうした人たちは、やがてロボットやAIなどの新たなテクノロジーによって代替されていく。例えば、バスやトラックのドライバーは、自動運転の普及によってやがてなくなっていく仕事だろう。
2つめのタイプは「ナレッジワーカー」と呼ばれる人材だ。単に目の前の作業をこなすだけでなく、知恵を出し、創意工夫しながら付加価値を高める仕事ができる人たちを指す。日本企業が誇る現場力を支えるのは「ナレッジワーカー」である。
「ナレッジワーカー」はロボットやAIによって代替することはできない。むしろ、ロボットやAIを活用し、現場が生み出す価値を最大化することができる貴重な人材だ。彼らは「単なるエッセンシャルワーカー」ではなく、「クリエイティブ・エッセンシャルワーカー」と呼ぶべき存在である。
日本企業はプロ人材に対する報酬水準を高めるだけでなく、代替性が低く、会社の財産である「ナレッジワーカー」に対する評価を高め、報酬水準を高めることが不可欠である。
日本企業における報酬格差はプロ人材に限った話ではない。企業の現場を支えるエッセンシャルワーカーの世界においても、適正な報酬格差が広がっていくだろう。
「悪平等」から「公平な競争社会」へ
「報酬格差が拡大する」というと、「それは社会の秩序を乱す」とネガティブな反応を示す人はいまだに多い。確かに、一部のアメリカ企業のようにCEOが社員の平均年収の100倍以上もらうような不当な格差はけっして好ましいとは言えない。
しかし、これまでの日本企業の多くは、「悪平等」だったとも言える。やってもやらなくても報酬は変わらない、結果を出しても出さなくても差がつかないというのでは、誰も頑張らないし、新たな挑戦をしなくなる。
これまでの「悪平等」主義から脱却し、「公平な競争社会」へと移行することが、日本企業が競争力を取り戻すための必須条件である。
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