武漢の作家が批判の中で訴え続けた壮絶な現実 災難とは人がバタバタと死んでいくことだ

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さらにもう1人、ブログで「盤索(パンスオ)」と名乗る人が言っている。「『医師が写真を送ってきた』とか、『同級生が死んだ』とか、『隣人がどうのこうの』などには、どこにも名前が書かれていない。こんなことを書いてパニックを増やせば、気が済むのだろうか。彼女の近日中の文章を読むと、多くの架空の人物を作り出し、文学に新機軸を打ち出そうと企んでいるらしい」

またも常識のない大人が現れた。病人が亡くなり、親族はみな悲しみに沈んでいるとき、どうして私が名前を出して彼らの苦しみを倍加させることができようか? どうして彼らの苦しみをみんなに知らせることができようか? 私は武漢で学校を出て、生活している。私の同級生や隣人もこの地にいる。私の日記は公開だから、もし私が捏造をしていたら、彼らが知らないはずはないだろう?

これでもまだ、デマだというのか?

当局が公表している死亡者リストを、盤索は見たのか? 武漢だけでも死亡者は1000人以上だが、私の日記で触れたのは、ほんの数人ではないか? 10人にも満たない! はっきり言っておくが、およそ政府のメディアが公開していない死者の名前を、私は現在に至るまで公開したことがない。

湖北映画制作所の常凱(チャン・カイ)〔訳注:ドキュメンタリー監督で、対外連絡部主任。二月一四日に五五歳で死去〕一家は、新型コロナ肺炎で家族全員が死亡した。今日、彼の同級生が書いた追悼の文章が、ネット上を埋め尽くした。常凱の最期の言葉は、壮絶で悲惨、胸をかきむしられる。中央テレビのニュース番組や『人民日報』だけを見ている人は、この遺言もまたパニックを引き起こすものだと思うのだろうか? 私はおととい、友人の画家が10万元を寄付したと書いたが、今日、彼の兄が新型コロナ肺炎で亡くなった。

項立剛たちよ、これでもまだ、デマだと言うのか?

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