現に1980年代には、多くのハードウェア・メーカーにオペレーティング・システムをライセンスしたマイクロソフトが市場をほぼ独占してしまう。ジョブズはゲイツを泥棒呼ばわりしながらも(マイクロソフトはアップルのインターフェイスを盗んだというのがジョブズの言い分だ)、他のメーカーへのOSのライセンス供与を避け続ける。
初代マックからiPhoneまで、ジョブズのシステムは固く封印され、消費者がいじったり改造したりできないようになっている。1997年にアップルのCEOに復帰してから、彼が最優先でやろうとしたことの1つはマッキントッシュのクローン製造の廃止だった。
ジョブズにとって単なる商品やサービスではなかった
ここまでオペレーティング・システムとハードウェアの一体化に固執したのは、ゲイツとは違ってジョブズが提供したいと思っているものが、単なる商品やサービスではなかったからだろう。彼の意識のなかではマックもiPhoneも「自分の作品」だった。機嫌がいいときなら「自分たちの作品」と言ったかもしれない。いずれにしても自分(たち)の作品を勝手にいじられたくないというのは、アーティストとしては当然の思いだろう。
こうしたやり方は一歩間違うと閉鎖的で独断的なものにもなる。アーティスティックな意識が高じてユーザーの体験までをコントロールしようとすると、さすがにやりすぎということで非難を浴びることになる。ジョブズが最後の日々に頭を悩ませた問題の1つは、iPhoneやiPadにダウンロードするアプリを厳しく管理するやり方が「アップル帝国」と揶揄され、非難されたことだった。マッキントッシュの広告(「1984年」)でIBMを想定して打倒をうたったジョージ・オーウェル的なビッグ・ブラザーに、アップル自身がなろうとしているのではないか。
デザイナーのジョニー・アイブが言うように、確かにジョブズは独占欲が強い。その欲望に少し含みをもたせれば、彼は製品をあくまで自分の作品として届けたかったのではないだろうか。アイブをはじめとして、数々の画期的なアップル製品の開発やデザインに携わったスタッフからすれば、われわれのアイデアであり、われわれの製品である。