堺雅人「半沢直樹で見せる演技の違和感」の正体 「多彩な感情表現」できるからこそもったいない
日本経済を回しているであろう大企業や、世界に誇る技術力をもつ企業が揃いも揃って「女性は添え物」。男性中心社会を強調して描かれる世界に、違和感も覚えるようになった。
もちろん、そうじゃない作品(常盤貴子主演の『グッドワイフ』とか長瀬智也主演『ごめん、愛してる』とかね)もあるので、日曜劇場とひとくくりにするのは暴論だけれども。おっと、堺に話を戻そう。
堺雅人は優しい顔立ちで、どちらかといえば、争いごとを避け、権力や地位に固執しない人間のほうがしっくりくる。
男社会で器用に立ち回ることができず、疑問を抱きながらも浮かばれない、うだつのあがらない男性を演じるほうが得意ではないかと思ったりもする。
もちろん、知性と信用と根性のある半沢直樹は適役だとは思うが、堺のもつ多彩な演技力の見せどころがあまり広がらない。「冷静に立ち回り、思案する」「家で妻に癒され表情筋弛緩」「キメ顔でキメゼリフ」。以上。
堺雅人は「半沢直樹」にもったいない
一方、ヒールの皆さんにはありとあらゆる見せ場がある。市川猿之助や香川照之には憎たらしさやウザさ、生理的嫌悪を放出したり、成敗されて男泣きしたり、土下座させられたりと感情の見せ場もたくさんある。ドヤ顔と土下座の進化版など、SNSウケもすこぶるいい。
そう、半沢直樹という役には感情の乱高下があまりなく、「静かなる憤り」がメイン。ありとあらゆる感情表現ができる堺だからこそ、すごくもったいないと感じてしまう。男社会・男ドラマでは「感情を露にするのが弱さ」なのだとすれば、堺はそこじゃない世界にいったほうがいい。
さて、懸念というのは3つある。ひとつは、今回の半沢直樹が終わった後、堺はまたしばらく出演を控えてしまうのではないかという不安。もうひとつは、かなり盛り上がっているため、すぐに続編をやろうとするのではないかという心配。半沢じゃない堺が観たいわけで。そして、大ヒットをうけて、この男ドラマのフォーマットが右に倣えで、今後もずっと続いてしまう危険性。どれもいやだな。
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