モバイルお墓サービスの可能性
しつこくて申し訳ないが、青山霊園を歩いていて、私が創造した霊園サービスはまだまだたくさんある。たとえば多忙で遠方にいる遺族が墓地に来るのはかなわないがお墓詣りをしたい時のために、小型の携行可能な軽い墓石パックに骨を入れて家まで運んでくれる“エクスプレス・モバイルお墓サービス”の可能性もありうるだろう。
また携帯アプリでその日のうちに備えられるお花やお供え物の“霊前デリバリーサービス”、またボタン一つで代わりにお墓を洗って、綺麗に掃除されたお墓の写真が携帯に送られてくる“お墓クリーニングサービス”の充実、また劣化して読みづらくなってしまった墓碑のリフォームサービスや、これら代行サービスの整備に不可欠なインフラである、墓の住所電子登録など、お墓サービスの近代化のために検討しうる試みは非常に多い。
今回のコラムは宗教界には不敬だと批判されるリスクもあるし、死者や伝統文化への敬意が足りない、とのご指摘をいただくこともあるだろう。しかしこれらのご批判を覚悟しつつも、あえて冗談のようなアイデア(そのうちのいくつかはさすがに冗談で書いたが、お墓コンドミニアムなどは韓国では実際行われている)を披露して伝えたかったのは、超・高齢化社会を迎えて介護サービスなど高齢者向けビジネスが急速に発展する中、さらに増えるだろう“死後のサービス発展”の視点が抜け落ちているという問題意識である。
様々な埋葬のされ方と、今後の宗教界の発展に向けて
また本コラムのもう一つの目的として、旧態依然としたサービスなのに不当な料金を請求されて困っている遺族の方々に、新たな埋葬の形態を知ってもらうことにもある。今世の中には“樹木葬”(20万円程度で、桜の木の下に複数の遺骨が埋葬されるサービス)や海への(許可を得たうえでの)散骨も増えているのでぜひご検討いただきたい。
また私は宗教界に尊敬を抱いているが、一部のいかさま宗教に関しては、日ごろ心の癒しを与えているわけでもないのに形式的な読経と戒名で数十万円、下手したら何百万円単位のフィーを手にしているようでは、そんな“宗教ビジネス”の将来はない、ということである。本来宗教家は人生の苦しみから宗教的教えで人々を癒し、解放し、また亡くなった人の無念を癒し、遺族の悲しみを和らげる尊い役割を担っている。この本来のミッションに立ち返ることが、今後の死後サービス発展のスタートポイントであるように思う。
ほかにもまだ書きたいことはたくさんある。たとえばキリスト教は毎週末教会で神父や牧師が説法をするのだから、仏教も対抗してお寺で毎週末ありがたいお話をみんなに聞かせてはどうか、など、宗教間で“人の心を救済するサービス競争”がもっと怒ってもよいと思うのだが、いかがだろうか。時には精神科とのコラボレーションもいいかもしれない。
まだまだアイデアは尽きないが、そろそろフライトの時間がやってきた(今ジュネーヴで、いまからインチョンに向かうところである。ちなみに先週インターラーケンで見たお墓は自然の中に綺麗に溶け込んでいて、素晴らしかった。どうせならこういうところに埋めてもらいたいものである)ので、今週はこのくらいで終えることとする。
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