この奇妙なアーティストが生み出したのは、きわめて実用性の高い工業製品である。一方、ウォーホルのほうは実用品を生み出したわけではない。絵がTシャツやポスターに使われたからといって、絵とTシャツやポスターは直接的には関係がない。Tシャツやポスターがなくても、「マリリン」や「フラワーズ」はそれ自体で作品として成立している。しかしiPhoneやiPadのような製品のデザインは、携帯電話やパソコンやカメラの機能を備えたモバイル機器と一体のものである。デザインだけを切り離して考えることはできない。
ベートーヴェンは貧乏だった。南京虫に噛まれるような病床だったという。不遇と貧困のなか、彼が死んだのは1827年3月26日のことだ。その日は嵐で、激しい吹雪のなか雷が鳴っていた。不滅の交響曲を9つも残し、とくに『英雄』や『運命』や『田園』などは数限りなくレコードが発売され、日本ではなぜか大晦日になると『第九』が津々浦々で演奏される。人類に計り知れない美と喜びを与えてくれた男が、最期は南京虫に噛まれながら果てたのだ。レ・ミゼラブル。
モーツァルトが埋葬された正確な位置はわからない
それを言うならモーツァルトだってミゼラブルだ。『アマデウス』という映画をご覧になっただろうか。学術的には問題が多いとされる映画だが、埋葬シーンは歴史的事実にかなり忠実に描かれているらしい。最後の場面、粗末な毛布に包まれた亡骸(なきがら)はウィーン郊外の共同墓地にポイッと捨てられ、上から白い石灰みたいな粉をかけられて終わりである。そのせいで埋葬された正確な位置はわからず、遺骨も所在不明のままだという。現在はザンクト・マルクス墓地の「このあたりだろう」と考えられている場所に嘆きの天使像が立っている。なんてことをしてくれたのだ、コンスタンツェ! 旦那の葬式代くらい残しておけよ。
それにしても、あの大天才のモーツァルトが最後は粗大ごみとは。もし著作権という制度があったなら、軽くビートルズとマイケル・ジャクソンとバート・バカラックをあわせたくらいの印税が入っていたはずだ。いや、オーストリアが買えるくらいの大金持ちになっていたかもしれない。だが実人生における彼はウィーンで冷や飯を喰わされ続けた。
音楽家に輪をかけて貧乏なのは画家である。なかでもゴッホの場合は痛ましい。昨今のオークションでは何十億という値がつくことさえまれではないのに、生前はほとんど1枚の絵も売れなかった。かろうじて弟テオの援助によって絵を描き続けた彼は、せめてもの罪滅ぼしに画商をしていた弟に自分の絵を送り続けた。そのテオも兄のあとを追うように、ヴィンセントの死から半年後に亡くなってしまう。33歳だった。なんと不憫な兄弟だろう。ゴッホの絵で儲けているやつは誰だ!?