「新型コロナ問題」と「経済学」に共通する難題 「専門家」「素人」「メディア」それぞれの責任

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同時に、これはどこかで見た風景だという感想も持ったのである。経済学と経済政策の分野において過去から繰り返されてきた事象と、今回のコロナ問題とには共通する部分が少なくない。すなわち「素人」である私たち市民が、「専門家」の持つ「専門知」を社会や政策にどのように結び付けていくのかという方法論、そしてそこに「メディア」が果たす役割という大きな問題が存在する。

今回のコロナ問題において、筆者も含めて多くの「素人」が、感染症やウイルスについての専門的な知識を聞きかじることになったわけだが、人によってその理解度は異なるはずである。実際のところ、専門家には、今も世の中の99%の人はこの問題に関する専門的な知識をほとんど吸収できていないと見えていることだろう。

しかし、この問題はすでに日本中、いや世界中の人々にとって、「専門的なことだからわからなくてよい」という話ではなくなっている。特に民主主義社会においては、専門的な知識を持たない素人である一般市民の意思を反映して政策が決定されるというのが原則だからである。専門的な知識を持たない素人が、専門的な分野に関わる政策の決定権を持つことが、民主主義システムの大前提なのである。

「たこつぼ化」で専門家の知見も限定的

そうであれば、専門知と社会における政策決定との間には、2つの大きな問題が存在する。

1つ目は、上述したような専門知を持たない政策決定者、つまり素人であるすべての一般国民は、正しい判断と決定ができるのかという問題。2つ目は、逆に、専門知を持つ専門家が判断と決定を行うとすれば、それは誰の利益のためなのか、そして、それはつねに正しいのかという問題である。

先に2つ目の問題について自然科学に限定して考えてみよう。

現代の自然科学は、ガリレオやニュートンの時代のように、誰もが理解しうるような普遍的な研究成果が次々に生み出されてくるようなものではない。それぞれの研究分野は過去の膨大な研究成果の積み上げのうえに成り立っており、専門家といえども非常に狭く限定された自分の研究分野以外のことは、ほとんど知らず、「たこつぼ化」が進んでいるのである。

現代社会においては、たった1つの自然科学上の発見や発明が何か意味のある製品やサービスにつながるケースは少ない。多くのテクノロジーが複雑に組み合わされる形で社会に適用されていく。したがって、その是非や可能性を、たった1人の自然科学者が判断できるケースは少ないのではないか。ましてや、それら多岐にわたるテクノロジーを専門としていない一般人が、その判断を行うのは容易でない。

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