レバノン流血の取材記録、あまりに壮絶な現場 世紀の巨大爆発の傍で彼らは世界へと配信した
ジャーナリストは通常、レンズを通して、もしくはノートにメモを取りながら状況を記録・観察する。しかし事故後数日の間、地域の総局でもあるベイルート支局のスタッフは、進行するニュースの一部でありながら、それを報じるという事態に陥った。自宅では家族が負傷したり、ショック状態にある中、記者らは街中での取材を何時間も続けた。
TVプロデューサーのヤラ・アビ・ネーダーは、爆発の瞬間は車を運転していた。夕暮れの涼しい風を入れるために窓を開けていたことが幸いし、割れたガラスを大量に浴びずに済んだという。それでも飛んできた破片で額が切れたが、そのまま携帯で動画を撮影し、同僚らに送った。
いたるところに遺体があった
「映像を送ることだけに集中した」、「ある意味、一種の拒絶だった。自分の顔がどうなっているのか、確認したくなかった」と、ネーダーは言う。
フォトグラファーのモハメド・アザキーは、当初は地面が揺れるのを感じて地震だと思ったという。港にたどり着くと、いたるところに遺体があった。
下半身が車の下敷きになっている男性がいた。上半身は血と土にまみれており、アザキーが「亡くなっている」と思いながら近づいた瞬間、男性は目を開いて両腕をばたばたさせた。
アザキーはすぐに救助隊を呼び、男性は車の下から救出された。
かつては洗練され美しかったベイルート中心部は、事故が起きる前から、何カ月にも及ぶ抗議デモや経済危機ですでに荒廃していた。爆発は、長らくバリケードされ、寂れていた店の窓を粉々にし、街にとどめの一撃を放った。
中心地にあるロイターの複数のオフィスも破壊された。エレン・フランシス記者は、天井が崩れ落ち、ガラスの破片がパソコンに突き刺さる中、デスクの下に隠れて身を守った。