レバノン流血の取材記録、あまりに壮絶な現場 世紀の巨大爆発の傍で彼らは世界へと配信した

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 ロイターのシニアTVプロデューサー、アヤット・バスマ。爆発の影響で右上にあざができた。8月5日、ベイルートで撮影(2020年 ロイター/Yara Abi Nader)

[8日 ロイター] - すさまじい爆風で床にたたきつけられ、倒れてきた衣装だんすを辛うじてかわし、飛び散ったガラスのかけらで額を切ったとき、とっさに考えることは何だろうか。

8月4日、巨大な爆発が起きたレバノンの首都ベイルートで、ロイターの記者たちは血をぬぐい、そのまま現場の映像を撮り始めた。

シニアTVプロデューサーのアヤット・バスマは、被害の映像をいち早く世界に配信した記者の一人だ。港に保管されていた硝酸アンモニウム2750トンによるこの爆発で、少なくとも150人が死亡し、首都の大部分が破壊された。

「死にたくないと思った」

その日、バスマは休みを取っていた。

「床に倒れこむと、ひたすら車の盗難防止アラームが鳴る音だけが響いていた。死にたくない、と思った」と、バスマは語る。「とたんに、アドレナリンがドッと出た」

大きく切れた額からの流血で髪は濡れていたが、バスマはそのまま着替えて家の外に飛び出し、唯一手元にあったカメラで撮影を始めた――自分のスマートフォンだ。

周辺では茫然(ぼうぜん)自失の状態の住民らが流血し、ガラスやがれきの山をよじ登っていた。負傷した家族を抱え、近くの車を呼び止め、病院まで連れて行ってくれるよう懇願する住民もいた。

隣の建物は屋根が吹っ飛んでいた。爆発時に上空を見た人たちは、遠くで火の玉が上がり、空がオレンジ色になり、白いキノコ雲が現れたと語った。

「何もかも倒壊していた。隣人たちは叫び、子どもたちは泣いていた」と、バスマは振り返る。「割れたガラスの上を車が走っていく音だけが聞こえた」

「でも、ずっと自分にこう言い聞かせた。『撮って、送る。撮って、送る』」

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