子どもを追い詰める「間違った」期待のかけ方 期待という言葉の捉え方が間違っている

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さらに、身近な相手であればあるほど状況がよく見えるので、「もう少し頑張れないかな?」と思うし、声もかけやすいので、「もっとこうしたら?」とか、「がっかりさせないでよ!」などと、半ば命令であるかのように伝えてしまうのです。

子どもにかぎらず、多くの人にとって、期待されるというのは、本来は嬉しいことのはずです。しかし、実際にはただの重荷にしか感じられないのは、期待をかける側がその言葉の域を超えて、「要望」や「オーダー」をしてしまっているからなのです。

「世の中、結果じゃないよ。努力のほうが大切だ!」。最初はそう言っておきながら、実際にわが子が結果を出してくれないと、「なんでできないんだ、結果が出なかったら意味がない!」などと言ってはいないでしょうか?

子に期待する「意味」を考えてみる

こうした親の立場を客観的に考えてみると、親自身のコンプレックスを子どもに押しつけている場合が少なからずあるのではないかと思います。そのコンプレックスが解消されれば、親自身の内側にある承認欲求が満たされるわけで、それがわが子への「期待」になっているのではないでしょうか。

自分のコンプレックスを他者(わが子)に投影して、代わりに克服してもらおうとしているわけですから、自分では何もできない分、やきもきもするし、歯痒くて腹立たしくなるんですね。

人が抱く「期待」というのは、往々にして自分の視点だけで語られることが多いと心得ておくべきだと思います。特に、親が子どもに「期待」という言葉をかけるときには、その意味を今一度考えてみる必要があると思います。

また、先ほどの医者の例ではありませんが、子ども自身も期待をはねのける強さを持つことが大事だと思いますし、親も期待のかけ方を考えていくことが必要でしょう。そのほうが、親も子も、ずっと幸せな人生を送ることができると思います。

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