いま世界で「歴史問題」が炎上している理由 植民地主義忘却の世界史とグローバル化の背景

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その意味では、歴史問題が決して日本特有の現象ではないとしても、そう驚くことではありません。最近も、いわゆる “Black Lives Matter”運動が、歴史に翻弄されたアフリカ系市民に対する差別問題を訴え、欧米諸国を中心にグローバルな広がりを見せています。

歴史問題は、ほかにも世界の至るところで起こっています。なかでも、7つの海を股にかけた大帝国を建設し、第2次世界大戦の戦勝国にして戦争責任の追及を免れたイギリスは、多くの歴史問題を抱えてきました。イギリスは、戦争と植民地支配はもとより、奴隷貿易の時代にまでさかのぼり、およそ近代史上あらゆる類の加害の歴史に深く、そして長く関与してきた国です。

その点では、オランダやベルギー、フランスなど旧植民地保有国も同様です。オランダは奴隷貿易の歴史にも深く関わっていました。戦争責任を追及されたドイツにしても、植民地支配責任については免責状態でしたが、近年、ドイツ統治下のナミビアで起こった大量虐殺に対して、被害者の子孫らから訴訟を起こされています。

オーストラリアでは、先住民虐殺の歴史を「自虐史観」(「喪章史観」)と批判する歴史修正主義が跋扈し、教科書問題に発展しています。

他民族による支配の歴史という点では、ソ連が陰に陽に影響力を行使した東欧やバルト諸国も、歴史問題の震源地です。例えば、2007年4月、エストニアの首都タリンで、ロシア系住民と民族主義者が衝突した流血事件が起こっています。

「ブロンズの夜」と呼ばれる大暴動ですが、背景には、旧ソ連の赤軍兵士のブロンズ像の撤去をめぐる住民の衝突があり、ソ連併合時代(1940~1991年)のエストニアが歴史的に抱え込んだ複雑な「国民史」を物語る事件でした。

植民地主義の“忘却”から“記憶の回復”へ

このように、世界で歴史問題が争点と化しているわけですが、ひと昔前までは、状況はずいぶんと違いました。冷戦の時代、国際社会は植民地主義に代表される他国・他民族支配に伴う加害事実や不正義を過度に追及することには後ろ向きでした。むしろ、問題含みの植民地支配責任問題などは棚上げにして、国家間のバランスを保つことに気を配ってきたと言えます。さながら「植民地主義忘却の世界史」です。

ところが、冷戦の崩壊が大きな契機となって、時代は大きく変わり始めます。このとき、普遍的な人権観念を論じる契機が生まれ、他方で旧植民地・途上国で民主化が着実に進展し、経済的にも政治的にも、その国際的立場を向上させていました。そうした変化の中で、歴史に虐げられてきた人々が、自分たちの“記憶”を取り戻そうとする動きが生まれてきたのです。

こうして1990年代以降、植民地主義や奴隷貿易など、それまで不問に付された過去の加害事実や苦しみの記憶の承認を求めて、被害者やその子孫、そして関係者から一斉に声が上がり始めました。彼らの訴えは、情報のグローバリゼーションに乗って瞬時に世界に発信され、訴訟を通じて過去の不正義を告発するグローバルな展開を見せるようになり、今日に至っています。

欧米のアカデミズムやジャーナリズムでは、こうした時代の変化を、「謝罪の時代」とか、「賠償の政治」という言葉で表しています。日本のメディアではあまり聞き慣れない言葉ですが、ポスト冷戦時代の重要な世界の変化として、識者の多くはこれを高く評価しています。

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