渋谷109を視察する時は、いつも少し緊張する。ほぼ客層が若い女子だから、否が応でも中年男子の1人客は悪目立ちしてしまうからだ。1階に足を踏み入れた。東京の感染者数が増えている影響なのか、人はまばらで活気がない。エレベーターで2階に上がると、右手がセシルマクビーの売り場だ。
iPhoneを見ているふりをして、しばし売り場を観察する。人はそこそこ入っているが、やはり覇気がない。全体的な印象は地味目で、私が知るセシルマクビーとは違うブランドに見える。
店の中に入ってみた。1型のデザインが何着もラックに並んでいて、バリエーションが少ない。セシルマクビーは2017年、ギャルという言葉がネガティブに捉えられる時代背景を考慮し、ブランドコンセプトを「モテ服No.1」に刷新している。それも上手くいかず、2019年には「今の私にちょうどいい」を新たなコンセプトに変更したばかりだった。たしかにちょうどいい服なのかもしれないけれど、中庸で面白みに欠ける印象を受けた。
厳しいのはセシルマクビーだけではない
2階のフロアを一周する。セシルと同じように一世を風靡した「マウジー(MOUSSY)」「ロイヤルパーティ(ROYAL PARTY)「エモダ(EMODA)」といったブランドも、以前のような存在感がなく横並びの印象を受ける。ブランドタグを外したら、どのブランドか見分けがつかないだろう。
8階までフロアを周遊しても、いくつかのロリータ系のブランドを除けば、みんな同じに見える。セールのポップ1つとっても、店員が手作りしたものが散見し、まるでクオリティの低い学芸会を見せられているような気分になった。セシルマクビー単体ではなく、109自体が厳しいと感じた。
ギャル全盛期には、カリスマ店員からデザイナーに昇格したマウジーの森本容子や「スライ(SLY)」の植田みずきなど、圧倒的なカリスマ性を持つデザイナーがいた。素材は安っぽくても、力強く魅力的な服が店頭に並んでいて、それに熱狂する消費者がいた。
2000年代前半、世界のトップメゾンの幹部やデザイナーたちは、来日する度にリサーチで渋谷109を訪れていたという。今のマルキューブランドのほとんどは、おそらく商社、OEM、ODM業者を通して製品を企画しているのだろう。
自社で企画せずともブランドが作れるシステムは、2000年代に入って確立したが、お手軽さの一方で他のブランドと差別化できない問題をはらんでいる。このままでは多くのブランドがセシルと同じようになってしまうのではないか……と危惧せざるをえなかった。
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