セシルマクビー撤退示す「今後危ないブランド」 コロナは中庸なアパレルを一掃しかねない

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筆者は長年にわたり渋谷の若者文化の生態を観察してきた。セシルマクビー撤退のニュースを知ったその日、下北沢と高円寺で2軒の古着屋を取材し、代々木上原での打ち合わせを終え、渋谷へ向かった。今のセシルマクビーと今の渋谷109をこの眼で確認しておきたいと思ったからだ。

古着屋の取材は、古着雑誌のためのものではなく、某百貨店の催事イベントのためのもの。百貨店が古着(古靴)を扱うというのも昔では考えられないことで、いかに古着、セカンドハンド市場が注目されているかを証明していると言える。

昔はコアなマニアのためのものだった古着は、ヤフオク!やメルカリなどのフリマアプリが台頭したことで、今やセシルマクビーの主要顧客層であるF1層(20〜34歳の女性)にも広がっているのだ。そんなことを考えながら井の頭線のホームを降りて、徒歩で渋谷109へ向かった。

私と渋谷109のファーストコンタクトは、1989年までさかのぼる。雑誌『ポパイ』や『ホットドッグ・プレス』を通して、渋谷カジュアル=渋カジが流行しているのを知り、月に数回のペースで渋谷〜原宿のインポートショップ(セレクトショップ)に通うようになった。109の地下にはさまざまなアメリカの商品を扱っているソニープラザがあって、よく立ち寄ったものだ。

1990年代にギャルの”聖地”となった渋谷109(筆者撮影)

1992年頃に今のギャル文化の原型である“パラギャル”(パラダイスギャルの略)が出現し、翌年に渋谷の女子高生文化の幕が開けると、渋谷109はギャルの聖地となった。そして老舗ティーン雑誌の『ポップティーン』、1995年に創刊された『エッグ』と『東京ストリートニュース』などの雑誌の後押しを受け、1996年頃から渋谷109に入居するアパレルブランドが爆発的に売れ始めた。その中でも、強くて大人っぽいギャル像を描いたセシルマクビーは、ギャルのカリスマブランドとして憧れの存在になった。

黒ギャル→白ギャルの流れに完璧に対応

ギャルのファッションは目まぐるしく変化したが、もっとも特徴的で大人が眉をひそめたのが髪型と肌の色だった。茶髪に日焼けサロンで焼いた黒い肌という彼女たちの“顔の制服”は、コギャルと呼ばれた時代の1993〜94年頃に一般的になり、年を追うごとに過激に進化。ガングロ、ゴングロ、ヤマンバと過激化するにつれ離脱するギャルが増え、 “黒ギャル”はカルト集団になっていく。

2003年頃の黒ギャル終焉期の制服は、109の中では高額なブランドだった「アルバローザ」だった。アルバローザは黒ギャルがほぼ完全に消滅した2006年に店舗事業から撤退し、ライセンス事業に専念している。

そんな黒ギャルと入れ替わるように、2000年頃から主流になったのが“白ギャル”のカルチャーだ。セシルマクビーは黒ギャルと白ギャルの入れ替わる時期に、時流をしっかり読んで白ギャル方向にシフト。1990年代のギャル文化が2000年代のモテ文化に変化する流れに乗り、業績を飛躍的に伸ばしていった。

そうした流れを後押ししたのが、2006年にスタートしたF1層向けのファッションの祭典「東京ガールズコレクション」だ。今も多くの若い世代を魅了するイベントとして健在だが、初回から6回目くらいまでの熱量はとにかく凄まじいものがあった。渋谷109とモテ服のブランドはこの世の春を謳歌し、セシルマクビーはその中心にいた。

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