大学は甲殻動物から脊椎動物になった?? 古市憲寿×吉見俊哉対談(下)
「学部・学年」から「科目・単位」へ
古市:横骨とは具体的にはどのようなことでしょうか。
吉見:横骨とは、「多元的な学び」です。たとえば、宮本武蔵のような二刀流のことを意味します。複雑化、流動化している現在の社会の「知」は「一本の専門」を極めれば対応できるわけではなく、「専門をうまく組み合わせていくこと」がますます大切になっています。
たとえば、コンピュータサイエンスを学んだ人が知的財産権の法的知識も身に付ければ、ITと知財という2つの「知」が結び付く。あるいは、環境科学を身に付けた人が中国・アジアの歴史を学ぶ。他にも2つ知を結び付けることで創造性を生む組み合わせもあると思うのです。
この横骨は、さらに「言語」という意味でも重要だと思います。日本の大学の「英語強化」には、「英語が話せないと困る」「グローバル人材になるために必要」という背景があるかもしれません。ただ、私は、英語を使うことにより、日本語の世界だと凝り固まってしまっている「モノの見方」を、相対化できることが大切だと思います。語彙も少なくなり、文法も違うと、複雑なことが言えなくなって、シンプルに言うしかない。違う言い方、違うコミュニケーションモードから見ることで、それまで考えていたことが、違う姿で見えてきます。
こうしたさまざまなカタチの異なる学びをつないでいく「横骨」が、日本の大学には必要だと思います。
古市:同じような問題意識で、学際的な学部がここ25年くらい出てきましたが、あまり成功している話は聞かないですが、なぜでしょうか。
吉見:学際的な「学部」で学生を取り込んでいるからだと思います。それは骨を作っているというよりは、新たな殻を作っている。殻が破れていくのだから、骨を構造化しないといけないわけです。カリキュラムやプログラムを複眼的に構造化しなければならないと思います。
日本の大学では、学部の所属と学年が重視される。しかし、未来の大学は「何を学んだのか」「学んだことが結合しているのか」が重要です。そのためには、学部・学年を基盤とした大学から、科目・単位が組織化されたプログラムを基盤にした大学にを変えなければなりません。
逆に言えば、大学が提供する科目数を減らす必要があるかもしれません。現在、東大でも、科目数が1万2000程度、と言われており、多すぎると思います。