2代目「三菱パジェロ」が残した今も生きる技術 災害や電気自動車に役立つ悪路走破の制御
三菱「パジェロ」の国内販売が終了してから、1年が近づこうとしている。パジェロは、三菱自動車工業を象徴する1台であっただけに、国内での販売中止には驚かされたものだ。
初代パジェロが誕生したのは、1982年のことである。その前年に、いすゞから「ビッグホーン」が登場していた。いずれも今日のSUV(スポーツ・ユーティリティー・ビークル)の草分け的な存在であるが、当時はRV(レクリエーショナル・ビークル)と区分けされていた。
いずれも三菱「フォルテ」、いすゞ「ロデオ」といったピックアップトラックを基に、4輪駆動の乗用車として5人乗りを実現していたクルマだ。
ピックアップトラックをベースとしているだけに、乗り心地は乗用車のようにはいかなかった。だが、ピックアップトラックは2人乗りで、荷台はシートをかぶせるなどしなければ青天井なので、乗車人数が乗用車並み(4~5人)で、屋根のある荷室に荷物を積み込めるパジェロやビッグホーンは、アウトドアを楽しみたい人にとって大きな魅力を持っていた。
クルマのある暮らしを象徴する存在に
日本は、1979年の第2次石油危機により経済が低迷したところから1990年のバブル崩壊まで、1980年代は好景気の道を歩んだ。
そうした中で、単にドライブするだけでなく、キャンプをしたりスキーを楽しんだりする余暇の楽しみ方が広がり、RVは実用性だけでなく、見た目にもそうした楽しみや喜びを象徴する存在として急速に販売数を伸ばしたのであった。
一方で、パジェロやビッグホーンのようなRVの車種を持たなかったホンダは、1994年にミニバンの「オデッセイ」を発表するまで、経営難に苦しめられることになる。
パジェロの人気を高めた要因の1つは、フランスで1978年に始まった「パリ~ダカール・ラリー」への参戦であった。この競技はラリーレイドと呼ばれ、今日トヨタが「ヤリス」で参戦しているWRC(世界ラリー選手権)とは別の砂漠や土漠といった道なき荒野を高速で駆ける競技だ。しかも、野営をしながら2週間近く競技を続ける野趣にあふれる。冒険心を湧き起こさせる新たな競技として一躍注目を集めた。
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