1日300斤売れる「ねこねこ食パン」誕生の裏側 単なる「かわいさ」狙いじゃない緻密な仕掛け
ブームが去ったときの撤退の方策は万全だ。表参道の旗艦店以外は基本的に、アンティーク内など既存店のスペースを利用し、単独で出店していないからだ。
ねこねこ食パンの特別さは、同社と田島社長の来歴をたどると見えてくる。
田島社長は、2002年に20歳でパン屋を始めて、今年で18年経つ。進学校に通った高校時代、勉強では周囲にかなわないが人生の回り道はしたくないと、パン屋開業を目指して専門学校へ進学し、修業期間を経て独立した。そして間もなくマジカルチョコリングが大ヒットする。
年間10億円の売り上げが5000万円に
しかし2010年、スポンジケーキにムースを載せた「とろなまドーナツ」が空前の大ヒットを飛ばしたことで、危機がやってきた。ドーナツブームと生キャラメルブームから発想した商品は、メディアが注目し、多いときには1時間待ちの行列ができる人気ぶりだった。
「最盛期には年間10億円近くの売り上げがありましたが、2年後には5000万円という急降下で本当に苦しくなりました。もともと僕はクリエーティブな仕事が好きだったのですが、一度クリエーティブを捨てても、ロジカルな思考で利益を意識する経営をやらなければと発想を切り替え、ホームラン狙いではなく着実なヒットを狙うようにしたら数年で業績は戻りました」(田島社長)
続いて行ったのが、M&A。経営を学ぼうと、業績がいいところばかり、しかし後継者不足などの課題を抱えるパン屋や工場などを買った。吸収した会社から、ケーキ屋や工場などの仕組みを学んだのだ。
合併した会社の多くは、以前から付き合いがある地元の企業や店。2019年1月に民事再生法を申請したラスクのシベールの支援にも名乗りを上げて取りざたされた。
2018年に合併したパステルは、先方から合併の依頼が来た。パステルは東京に進出し、なめらかプリンのブームを作った人気ブランド。しかし、新機軸を打ち出せないまま、20年の間に徐々に売り上げが低下していた。
「パステルは3~4年赤字が続いていました。赤字事業を吸収するからには、初月から黒字化しなければ、と半年から1年間じっくり考えました」と田島社長。
初月から黒字化できたのは、「コスト削減と売り上げアップのプランを大事にし、20~30個の改善ポイントをやり切ったからと思います。例えば中間管理職をなるべく少なくしました。中間管理職が多いと意思決定のスピードも実行の質も落ち、現場のモチベーションも下がりがちです。
また、原材料費については入札を行いました。パステル事業を吸収することで、オールハーツ全体での使用量も増えるため、いいものをより安く、という形で仕入れることでコストを一気に下げました」と話す。
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