1964年「東京五輪」に馳せるクルマ天国の思い出 日本経済が前進、自動車産業もイケイケだった

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東京オリンピックが開催された1964年当時、クルマ好きの仲間とクルマに明け暮れた日々を振り返った(イラスト:LEON編集部)  
1964年の東京オリンピックは、日本経済を大きく前進させるきっかけになった。同時に、日本の自動車産業も「イケイケ」状態をもたらしたそう。今からするとかなりうらやましい、当時のクルマ好きたちの暮らしっぷりを回想します。

クルマ好きの連中とクルマ三昧だった

バイクに明け暮れる日々は高校卒業とともに終わり、大学ではクルマに明け暮れる日々へと変わった。

クルマを改造したり、ジムカーナやヒルクライムに出たり、ラリーに参戦したり、鈴鹿へ走りに行ったり……そんな日々を重ねた。

本記事はLEON.JPの提供記事です

でも、たいていは家内(大学1年で付き合い始め、3年で結婚)も一緒だったし、クルマがすべて……といったことはなかった。

結婚当初は、千駄ヶ谷にあった家内の親の家に同居させてもらった(義兄夫婦も同居)が、地の利のよさと、周りの路上にクルマが停めやすかったためか、いつのまにかクルマ仲間の溜まり場に……。

兄と僕の仲間が連日連夜遊びに来ることになったのだが、それはそれはにぎやかだった。

まだ路上駐車できた時代だったので、わが家の前の道路には、スポーツカーや改造車が連日ズラリと並んだ。今、考えると、異様な光景だったと思う。

ちなみに、どんなクルマが集まっていたのかというと……ポルシェ356(2000GSもあった)、トライアンフTR3/TR4、オースチンヒーレー3000、ロータス・エラン、ミニクーパーS、MGA&B、ホンダS600……といったところ。われわれのグループでは異色というか、少し浮いた存在だったが、バンデンプラ・プリンセス4リッターも常連だった。

舷窓トップのサンダーバードをもつ友人とも親しかったのだが、彼以外は欧州車好きばかりだったせいか、みんなとはあまりなじめず、夜の集いの仲間にはならなかった。

川合稔、高橋利明、大坪義男(みな、トヨタ7を走らせたトヨタ・ワークスドライバー)は常連だったし、兄の仲間だった松田芳穂(松田コレクション)もよくきていた。浮谷東次郎も、時々、フラリと顔を出した。

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