日本医師会長選挙「仁義なき権力闘争」の大混迷 こんなときに、現職が「辞める」を2度翻意
尾崎氏は、「この時期に医師会内部で争いは避けたほうがいい。横倉会長は、このコロナウイルス対策で相当疲れていると思うし、後は若い世代に任せてはどうか」と伝えた。コロナ禍の中心となった東京都医師会で奮闘していた尾崎氏にとって、選挙戦を戦う心の余裕などなかった。できれば選挙なしの禅譲が望ましいと考えていた。
説得を受けた横倉氏の心は決まったようだ。午後9時過ぎ、筆者のスマホに電話がかかってきた。
「この前、話した通りにするよ」
「この前」とは、4月22日にインタビューで明かした事実上の中川氏への禅譲のことだ。少し疲れている様子だが、それでも「国民がご苦労されている時にね、権力闘争するわけにはいかん。最終的には俺が決めること」とキッパリと宣言し、電話を切った。
横倉氏はその後すぐに、選挙を避けるために奔走していた金井埼玉県医師会長にも出馬しない決意を伝えている。金井氏は「さすがです。美しい引き際です」と答えたのを覚えている。横倉氏は翌日、中川氏本人にも「不出馬」を伝え、6月6日に開かれる九州医師会連合会の会合に中川氏を同行させ、そこで地元の医師会幹部らに紹介することを告げている。
ところが、筆者が契約している業界紙であるRISFAXに「日本医師会・横倉会長が勇退、中川副会長に禅譲」(28日付)という記事が出た3日後、横倉氏は再び揺れた。
中川氏が親しい医師会長に送ったメール
31日夕、中川陣営に「横倉氏が再び迷っているようだ」との情報がもたらされた。
「(約束を)撤回することは社会常識的にも考えにくい。横倉会長の晩節を汚し、日本医師会のイメージダウンになるのではないか」
中川氏は、親しい首都圏の医師会長にメールを送ったが、直後には「横倉出馬」の報がもたらされる。ちょうどそのころだ。筆者のショートメールに横倉氏から「会長交代にあまりにも批判が強いので再考します」とのメールがあったのは。
本来ならば、メディアの一員である私に連絡する義務はないはずだ。それでもメールで知らせてきたのは、「申し訳ない」という気持ちと、社会通念上は許されないという後ろめたさがないまぜになった苦悩を抱えていたからだと思いたい。
横倉氏本人に電話を入れた。
――中川さんに選挙運動はしないと約束したことを裏切ってしまうことになる。
「それはしょうがない。医師会のことよりも国民医療をしっかり守ることを考えざるをえない。あちこちから、コロナが収束する前に医療界のトップが交代するのは無責任だという声が強すぎるんよ。(出馬することに)決めました」
「あちこちから」という横倉氏の言葉に聞き覚えがある。
8年前のことだ。日本医師会の会長を1期務めた茨城県医師会出身の原中勝征氏が2期目を迎えようとしていた12年、その原中執行部で副会長だった横倉氏が、会長に立候補することを決めたときの言葉だ。
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