日本医師会長選挙「仁義なき権力闘争」の大混迷 こんなときに、現職が「辞める」を2度翻意

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横倉氏は、よくも悪くも典型的な調整型だ。物腰は常に柔らかく、交渉事でも相手の意見を聞いてから、妥協点を探りつつ医師会の主張を繰り出す。厚労省や政治家からも「落としどころを心得ている」など評価も高かった。安倍晋三首相や麻生太郎財務相とも懇意で、過去4回の診療報酬では、いずれもわずかながらもプラス改定を勝ち取り、長期政権への盤石な体制を築いてきた。そのことは逆に、「自民党との馴れあい」との批判にもつながった。

そんな横倉氏は、中川氏の手法を快く思っていなかったのは間違いない。

5月25日のことだ。午後3時、関東甲信越の医師会を束ねる立場の埼玉県医師会の金井忠男会長が、日医会長室の横倉氏を訪ねた。金井氏はすでに横倉氏が勇退することを知っていて、中川氏の出身母体である北海道医師会から、来るべき中川執行部の陣容について相談を受けていた。日本医師会の会長選挙が1カ月後に迫り、金井氏は「横倉氏から陣容についての意見を聞いておいたほうが引き継ぎもうまくいく」と判断して、金井氏のほうから横倉氏に連絡をした。

サシで話すものとばかり思い込んで金井氏は、その場に横倉氏の地元である福岡県医師会の松田峻一良会長が同席したことに驚いた。横倉氏が呼んだという松田氏は、盛んに「(横倉氏を)出馬させる」と主張し続けている。横倉は黙って聞いているだけで、肯定も否定もしない。

「中川氏に任せる約束は、どうなってるんだ」

翌日には、「横倉が迷っている」「出馬するようだ」との情報は医師会内を駆け巡った。もちろん中川氏の耳にも届いていた。

筆者は、真偽を確かめるために、横倉氏にメールを送った。返ってきたメールにはこう書かれていた。

「地元や周辺が納得しません」

「地元や周辺が納得しません。争いは避けたいので、苦労しています」

一度はこの新型コロナウイルス禍のさなかでの権力闘争を否定し、事実上の「禅譲」を持ち掛けた横倉氏が翻意したとなれば、その約束を信じて選挙運動さえ控えてきた中川氏を裏切ることになる。記事のトーンとしては批判的に書かざるをえない。裏切りに端を発した役員選挙は必ず遺恨を生み、そのことがしこりとなって、怨恨の連鎖が続くことを、これまでの医師会取材で経験してきた。

筆者は横倉氏に、メールでこう伝えた。

「少し厳しい記事にならざるをえませんが、お許しください」

すると、しばらくして横倉氏から返信があった。

「9時過ぎに電話します」

そのころ横倉氏は、信頼する東京都医師会長の尾崎治夫氏と電話で話をしていた。前日に横倉氏の方から相談を持ち掛け、この日の夜に電話で話すことになったのだ。

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