渋沢栄一が「自分の未来に悩む30代」に贈る言葉 折れそうな心を支え続ける「大丈夫の試金石」

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渋沢栄一が生涯を通じて理想とした「合本主義」を強く推し進めることによって、自身が青年だった頃からずっと解決すべき社会の課題と考えていた官尊民卑の風潮にメスを入れていったのです。

幸運を招くのも自分、逆境を招くのも自分

夢を追いかけても、当然、そうすんなりとは進みません。途中、何度も挫折することがあるでしょう。コロナ禍による経済環境の激変など、予測不可能なことが起こることだってあります。そんなとき、どのような心得が必要でしょうか。

渋沢栄一は『論語と算盤』の「大丈夫の試金石」で、逆境のなかでどうすべきかという考えを示しています。

自分からこうしたい、ああしたいと奮励さえすれば、大概はその意のごとくになるものである。しかるに多くの人は自ら幸福なる運命を招こうとはせず、かえって手前の方からほとんど故意にねじけた人となって逆境を招くようなことをしてしまう。

未来を信じて、自分自身が何をしたいのかという「やりたいベクトル」を立ててさえおけば、幸福を招き入れることができます。不安をはねのけるには、渋沢栄一のポジティブな性格にならって、とにかく「こうしたい・ああしたい」ことを強く念じて、自分の信じる道を突き進むことが一番です。

渋沢栄一は、「日本初の〇〇」といった会社をたくさんつくっています。フランスから帰国後、静岡県で立ち上げた商法会所が、日本初の株式会社組織と言われていますし、日本初の鉄道会社である日本鉄道、日本初の高級ホテルである帝国ホテル、日本初の銀行である第一国立銀行など枚挙にいとまがありません。そして、これらの会社の多くが日本経済の発展と共に、いまでは大企業に育ちました。

この一面だけを切り取れば、日本が光り輝いていた歴史の足跡であるように見えるのですが、ちょっと考えてみてください。当時、渋沢栄一が生きていた時代背景は、実は非常に混沌としており、先が見えない時代だったのではないでしょうか。

何しろ、270年も続いた江戸幕府が終わり、それまでの常識が完全に覆ったわけです。欧米列強から侵略される危険性もありましたし、血なまぐさい事件も多発していて、日本の未来に不安を抱くことが世間一般の認識だったかもしれません。

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