コロナ禍で加速「プロしか食えない」時代の衝撃 「いらない人」が整理される弱肉強食の社会に
大事なのは、「どの職業がテクノロジーによって淘汰されるか」ではなく、「その職業に従事する一人ひとりが『プロ』なのか『アマチュア』なのか」ということだ。
テクノロジーがこれまでの仕事や労働に大きなインパクトをもたらすのは間違いないが、それによってなおさら「個別差」、つまり「個が生み出す付加価値の大きさ」が重要になるのだ。
2つ目の示唆は、「プロになれば安泰」というわけでは決してなく、「プロvsアマ」の差よりも、「プロの世界の中での競争や格差」のほうがはるかに大きく、厳しいということである。
プロになることは、サバイバル競争に勝ち残るための「最低限の条件」にすぎない。それは、プロスポーツの世界を見れば一目瞭然である。
例えば、JリーグのトップであるJ1でプレイする選手たちの平均年棒(2019年)は約3500万円である。1億円以上を稼ぐ日本人プレイヤーも何人もいる。海外で活躍する選手を見れば、その何倍も稼いでいる。
それに対し、下部組織のJ2の平均年棒は約400万円、J3は300万~400万円程度だ。せっかくプロ契約を勝ち取っても、大学初任給と同じレベルの報酬しか手に入らない。
プロになることが成功を意味するわけではない。「プロとして結果を出し、上の世界で成功をつかむかどうか」が試されているのだ。
コロナの収束は「新たな時代」の始まり
サッカー元日本代表の三浦知良選手はこう語っている。
「2部や3部では『練習環境をよくしてほしい』といった声をよく聞く。でもね、自分が上にいかない限り、環境なんてよくならないんだ。(中略)環境を改善してもらうのを夢見るより、自分でその環境へいく。生き残りたいなら、今いる場所を出てでも、上がれるだけ上がらないとね」
この言葉に「プロフェッショナル」の本質が凝縮されている。
これと同様のことが、日本のビジネス社会でも起きようとしている。居酒屋で同僚たちといくら愚痴をこぼしたところで、何も変わらない。自分の人生を変えるのは自分しかいない。
コロナの収束は、「個に立脚する新たな時代」の始まりでもあるのだ。
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