信長の戦術にプログラミングの本質が見える訳 社会のあらゆる仕組みを説明することが可能

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ところでなぜ、私たちはプログラムを必要とするのでしょう。その答えの一つは、「作業の均一化」にあります。

近代における大量生産と工業化の進展にとって、「誰がどのように作業しても、同じ結果を生む」ことができるかが一つの鍵でした。そしてそれを可能にしたのが、ファストフード店のような、手順のマニュアル化であり、工場の生産ラインの設計だったのです。

確かにマニュアルの通りにやっていれば、個人の能力や特性とは無関係に、同じサービス、同じ作業ができるようになりました。従来は職人の勘や、長年の経験に頼っていたものが、マニュアル化されることで誰にでもできるようになったのです。

このことは、「個性を奪っている」ともいえるかもしれません。

しかし、そのおかげで、私たちは大量生産された自動車に乗って移動し、時間通りに発着する電車、バスなどの公共交通機関を低コストで利用できるのです。自動車が昔のように手作りのままだったら、とても庶民が利用できるようにはなりませんでした。

それにプログラムがあるからといって全ての個性を奪う結果にならないことは、例えば結婚式のことを考えてみても分かると思います。

結婚式もプログラミングで説明ができる

多くの人にとって結婚式は人生で一度の晴れ舞台。思い入れもたくさんあり、準備にも時間をかける人が多いのではないでしょうか。

「自分の結婚式では、バイオリニストの叔父さんに演奏してもらいたい」「思い出深い、母校のチャペルで式を挙げたい」など、結婚式のプログラムは、新郎と新婦が一緒に話し合って決めるもの。いわば世界に二つとない、2人だけの、愛のプログラムです。

そういう個性を盛り込んだプログラムはコンピュータの世界にも存在しており、プログラミングは、作曲や執筆のように、思想の表現手段の1つとしても考えられているのです。

さらに愛に関連するプログラミングとして重要なものに「教育」があります。

子供を持つ人なら誰でも、「電車で騒いではダメ」「ストーブに触ってはダメ」などと子供を叱った経験があるでしょう。これも立派なプログラミングなのです。

子供が自分の安全を自分で守れるように言い聞かせて教育すること。彼ら彼女らの人生を正しく導いてあげられるような環境を用意すること。

親が死んでも子供は生き続けます。そして子供はまた、自分の子供に同じように教育を与えることでしょう。

プログラミングとは、言い換えれば「自分のいないところでも、自分以外の存在が自分の期待通りに振る舞うよう、その道筋を整える仕組み」です。だとすれば、子育ては立派なプログラミングであるといえます。

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