キューバ人が資本主義に抱いた「何かが違う感」 モノがないキューバが最高なわけではないが

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「家には洗濯機のほかに、日本のビデオデッキもありました。テレビドラマが録画されたテープが入ったままで、何度も見ているうちに『おはよう』と『こんにちは』を覚えたんです。すごくうれしくて、もっと勉強したいと思いました」と、リーさんは振り返る。

2003年から日本語の独学を始めたが、地元の町に日本語学校はなく、当時はジャーナリストなど限られた立場の人しかインターネットが使えなかった。そこで友人のジャーナリストに頼み、ネット環境のあるオフィスに通ったり、知人に日本語の教科書を譲ってもらったりしながら勉強した。

友人から誘いを受けてチリへ移住

数年後、ハバナに引っ越したリーさんは、日本人の留学生らと交流を深め、飛躍的に会話力がアップする。努力が実り、日本人向けツアーガイドの仕事も得た。

リーさんがガイドを務めていたツアーバス。比較的治安が良いキューバは、高齢者の団体旅行先としても人気だ(写真:リーさん提供)

医療や教育は無料であるものの、物質的な豊かさからは程遠いキューバでは、国外に移住・亡命する者が後を絶たない。政府はそれらを禁止していないため、外国人と結婚したり、知人のつてを頼って国外に出る若者は多い。

そのほとんどがキューバの家族や親せきに送金しており、外貨を得られるキューバ人とそうでない者との間で経済格差が生まれている。

リーさんは2014年からの2年間、南米大陸の細長い国、チリへ移住した。幼なじみの家族がチリに引っ越し、「来たければ呼んであげる」と言われたことがきっかけだ。

「自分の可能性を試すチャンスだと思いました。でも実際は、そんなにラッキーじゃなかった」

リーさんにとって、チリは初めての資本主義国だった。

「最初、チリ人は忙しくて冷たい人たちだと感じました。生活に余裕がなくて、いつもイライラしているから。でも、チリに住んだら僕もそんな感じになってしまった。アタカマ砂漠で観光の仕事を始めたものの、うまくいかなくてつねにストレスがあり、白髪がいっぱいできました」

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