キューバ人が資本主義に抱いた「何かが違う感」 モノがないキューバが最高なわけではないが
2015年、オバマ政権時にアメリカとの国交が回復したカリブの島国キューバ。同年にアメリカからの渡航・送金・投資などの規制が緩和され、経済成長率は3.5%上昇した。だがトランプ政権になった2017年、経済制裁は再び引き締められる。さらに支援国ベネズエラの政情不安も重なり、キューバは大きな経済危機に見舞われている。
キューバ革命前、アメリカの半植民地状態だった頃を知る世代からは、「あの頃より今のほうがいい」という声も多いが、革命後に生まれた若者は日々何を感じて生きているのか。幼少期から海外に憧れ、独学で日本語を習得したリーさん(36歳)に話を聞いた。
どん底の時代に大ヒットした「おしん」
「僕が子どもの頃、キューバには電気も食べ物も、何もありませんでした」
リーさんが幼少期を過ごした1980年代後半から1990年代にかけては、社会主義国にとって厳しい時代だった。1959年の革命以降、アメリカから経済制裁を受けているキューバは、エネルギー資源や生活物資の80%を社会主義国からの輸入に頼っていた。しかし、1989年のベルリンの壁崩壊をきっかけに、東ヨーロッパ諸国との貿易がストップ。極めつけは、1991年のソ連解体だった。
町から食料や日用品が消え、1993年には経済成長率がマイナス14.9%にまで落ち込む。電気や水が頻繁に止まる中、日本のテレビドラマ「おしん」が放送され、視聴率80%超えと言われる大ブームとなった。貧しさに耐えて頑張るおしんの姿が、キューバの生活と重なったのだ。
「僕もおしんが大好きでした。5歳のいとこがベッドのシーツを体に巻き付けて、着物ごっこをしていたのを覚えています。その頃、キューバは本当に何もなかったから、おしんは数少ない楽しみでした」
リーさんがさらにアジアの文化に興味を持ったきっかけは、船乗りだった祖父が持って帰ってきた日本の洗濯機だった。ラベルに書かれた漢字に強く惹かれ、意味もわからないまま毎日書き写したという。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら