沢木耕太郎が明かす「情熱で人を動かす方法」 国内旅のエッセイ集「旅のつばくろ」より
絵を見たあとで館内のカフェでひとやすみしたが、そのカフェのガラス窓から見た外の光景が美しかった。向かいの景色が前方の屋根の部分に張られた水に映り、まるで一枚の絵のように見える。私はそのカフェで紅茶を飲みながら、かつての平野政吉美術館を初めて訪れた日のことを思い出していた。
それはまだ私が20代の前半の頃で、いわば「徒弟修行中」のライターの時代だったときのことだ。もっとも徒弟修行中というのは言葉の綾に過ぎず、当時の私は特にライターとしての「師」と呼べる人も持たないまま、たったひとりでジャーナリズムの海を泳いでいるところだった。
とんでもない条件のインタビュー
あるとき、グラフ雑誌から永六輔氏のインタビューをしてくれないかという依頼を受けた。永さんとは面識もあり、簡単なことだと思って引き受けた。ところが、永さんが所属している事務所を通して依頼すると、当の永さんからとんでもない条件がつけられて返事が戻ってきた。
秋田まで来てくれるならインタビューに応じてもよい、秋田から大館までの列車の中で話をしよう、というのだ。グラフ雑誌の編集部は、いくら忙しいといっても、そこまでして載せるべきインタビューではない、という気配をにじませて企画の打ち切りを提案してきた。
しかし、私は強引に行かせてもらうことにした。行かないのは、なんとなく、挑戦状をつきつけられていながら逃げるのと同じような気がしたからだ。
待ち合わせの場所は秋田の平野政吉美術館だという。指定の日にちの、指定の時間に行くと、永さんは藤田嗣治の大作「秋田の行事」を前にして、美術館のオーナーである平野政吉氏と話をしていた。
それがこの日の永さんの第一の仕事だったらしい。私の顔を見ると、永さんは、本当に来たんだね、と少し嬉しそうに言った。あんな条件を出すと、だいたいの人は諦めてくれるんだけどね、と。
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