阪急3000系引退、そのデザインは時代を超えた 50年以上も前に製造、現在でも通用する外観

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最後の1編成となった3000系を、特別に取材させてもらった。55年以上にわたる活躍を終え、西宮車庫の片隅で静かに眠る同車の車体や車内は、その長い歳月を感じさせないほど良い状態を保っている。

阪急では、数年おきに行われる検査で車体を徹底的にチェック。へこみや傷をパテで修繕し、平滑な状態に直しているが、これほど高頻度でメンテナンスを行う会社は少ない。塗装作業も2回の下塗りに加えて3回の本塗りが重ねられ、あの深みと光沢を出しているのだ。

当初はシンプルだった前面は、1980年代前半に種別・行先表示装置を設置。左右窓上の標識灯が窓下に移設されるなど、当時の新型車両である7000系や6000系に合わせられた。一方で、窓上部からぶら下がる形で取り付けられた細身のワイパーなど、製造時の面影も残っている。

「ヨロイ戸」にも乗客への配慮

車内も、クーラーの設置に伴う屋根部分の変化や座席モケットの交換などのメンテナンスは行われているものの、ほぼ当時のまま。日除けは通勤車両で一般的なロールカーテンではなく、かつて主流だったヨロイ戸だ。下から引き上げる方式で、上部に少しすき間ができるが、これは「立っている乗客が外を眺められ、停車時に駅名標が見えるように」という配慮の表れである。

ヨロイ戸の上部にはすき間があり、立ち客が外を見られるようになっている(筆者撮影)

この配慮は近年の車両にも取り入れられており、ロールカーテンの上部4分の1ほどが薄い生地でできていて、外の様子が透けて見えるのだ。

1967年の神戸線昇圧に備えて開発された3000系は、同じく宝塚線昇圧に備えて開発された“双子の兄弟”3100系と合わせ、合計150両余りが登場。一時は阪急の最大勢力として、阪神間の輸送を支えた。2000年代に入ると廃車が始まり、徐々に数を減らしたものの、支線系統ではその後も活躍を続ける。

2018年度末に1編成が廃車され、最後の1編成となった3054編成も次第に出番が減少。代替車両が活躍を始めたことで、2020年2月初旬を最後に引退した。

半世紀以上前に製造されながら、現在でも通用するデザインと状態を維持しつづけた阪急3000系。その“人生”と、活躍を支えた阪急のスタッフに、敬意を表したい。

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伊原 薫 鉄道ライター

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いはら かおる / Kaoru Ihara

大阪府生まれ。京都大学交通政策研究ユニット・都市交通政策技術者。大阪在住の鉄道ライターとして、鉄道雑誌やWebなどで幅広く執筆するほか、講演やテレビ出演・監修なども行う。

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