堀潤×宇野常寛「何が私たちを分断しているか」 それは世界中で起き、間違って使われている

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:自己破壊?

宇野:自分たちが見えていないものとか、聞こえていないものを聞くことによって、1回自分の世界観とか理解なりを破壊して、それを再構成することでより深い理解にたどり着く。視点を少し変えることによってそれまで気づかなかったことに気づく。その成果を僕らが再編集して発信していくことでしか、人々に何かを伝えるという仕事は成立しないと思っています。

でも、みんないつの間にか現場に行っただけで満足してしまっている。つまり、観光客になってしまっていると本当に思うんですよ。絵葉書と同じ構図でセルフィーを撮ったり、旧所名跡の前でウィキペディアを引くように、あらかじめ見たかったものを見て、確認したところで人は何も変わらない。そこで目に映ってしまったものとか、聞こえてしまったものを引き受けるという態度は、そういうことではない。

:そうですよね。見ないようにしていたり、見たんだけど見なかったことにしてというのが問題になっている。そういう意味では、分断を生む1つの装置の中に当然、マスメディア、メディアの在り様というのは描きたいなと思っていたんですよね。

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