堀潤×宇野常寛「何が私たちを分断しているか」 それは世界中で起き、間違って使われている

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複雑に絡み合っているものを力業で引きちぎると、もう元の形には戻らないくらいズタズタになった金属片がいっぱい残ります。彼自身はこういった断絶を現場に行ってすごく知っているんだろうけど、だからこそ、単に現場に行けばいいのではなくて、現場から持ち帰ってきたものを、しっかりいろんな角度から見つめ直すことが必要だと思うんです。現場に足を運ぶこととその現場を引き受けるということは、やっぱり違うんだなと僕が考えるのは、そういう理由でもありますね。

接続する力が強すぎるから、分断が深まる

:『わたしは分断を許さない』は、自分では普段は言わない、割と強い表現にしてみたんです。その代わり、現場が多様であるということや、選択肢を広げるためにも、考える入り口を増やしたいという想いもあって、これだけいろいろな地域の分断を並べて、統合してみようという試みでもあるんですよね。

宇野:ちょっとこれも慎重な発言をしないといけないんですけど、僕自身は分断が絶対にあってはいけないと思っているかというとそうでもないんです。ただ、分断が「固定化」してしまうことはよくないと思っていて、例えば場合によっては、人は人、自分は自分だって割り切ることとかは必要であると。そういうねじれの位置で、関わらないことを選択するというのも1つの知恵だと思うわけです。

なぜかというと、今、分断する力が強くなっているのはむしろ、接続する力が強すぎるからなんですよね。それはグローバル経済もそうだし、情報ネットワークもそうだし、世界が収縮していっているから、そこに抗うある種のアレルギー反応で分断しようという流れもある。

1度分断して物事を考えてみようということは、上手くいけば多様性や、慎重さの擁護につながるはずなんですけど、今の問題は、すでに接続されてしまった世界を心理的に遮断するために分断が使われてしまっていることです。

つまり「自分たちに仕事がないのはあの移民たちのせいだ!」というふうに、隣人を悪魔化することによって自分のプライドを救済することに使われてしまっている。これは世界中で起こっていて、分断の間違った使い方をしてしまっていると思うんですよね。だから、みんな口では分断を許さないと言うけれど、何がどう分断しているのか、具体的にそれがどう作用しているのかを、もっとしっかりいろんな角度から検討したほうがいいと思います。

:そのとおりですね。今回の映画を作る中でいろいろ俯瞰して見てみると、その分断のあり方にも種類があるなと思います。一見共存しているように見えるけれども、相互の疑心暗鬼によって違いが鮮明になり、どちらかを排除しようとして均衡が生まれている衝突の現場や、もしくは相互理解が生まれようとしていて、その違いを知ったからこそ、つながろうとしているその秩序だったり。

確かにその間にいろいろな線は引かれているけど、そこに成り立つ均衡は、全く種類の違うものだなと感じたんですよね。

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