「正直『毒親の母なんて捨ててしまいたい!』と思っていた私は、モヤモヤしながら介護を始めました。でも『ありがとう。助かるわ』という感謝の言葉をかけてもらうたび、『昔の母は病気だったのかもしれない』と思うようになりました。
執拗に干渉されて病みそうになったこともありましたが、介護によって向き合うことで、昇華できたのかもしれません。うまく帳尻が合ったような気がします」
約2年かけて「散らかっている家レベル」まで片付けた実家を、さらに「赤ちゃんを育てられるレベル」までにした。
「離乳食づくりは清潔なキッチンでしたくて、キッチンは力を入れました。ガスコンロも10年近く掃除されていなかったので、思い切ってIHに変えました」
シングルマザー&ダブルケア覚悟での出産
2018年5月、派遣の仕事をしていた松永さんは、仕事を休止し、実家に戻る。
「ダブルケア前提の出産だったので、使えるものは何でも使わなきゃと思い、ヘルパーさんや保育園は、絶対に利用しようと思っていました」
ところが、「認知症になったことを近所の人に知られたくない」「他人を家に入れたくない」と、父親と妹はヘルパーに反対。
「当初はデイサービスも反対されました。2人は仕事で家にいないことが多いので、状況の重大さが把握できていなかったんです」
松永さんは妊娠中の身体で、ヘルパーの手続きや保育園探しなどをこなした。母親の介護も実家の片付けもしない妹には、「お金も手も出さないなら、口も出さないで!」と釘を刺し、父親には母親の通院には必ず付き添うように頼んだ。
「私1人に押しつけて見ないフリをされるのを防ぐためにも、当事者意識を持ってほしくて頼みました。父には、母の薬を1回分ずつ分ける作業も担当してもらいました」
ヘルパーを決め、保育園に目星をつけ、ケアマネジャーとは報告や相談を密にし、出産予定日が近づいてきた。
経過は順調だが、自然分娩を推奨する産院だったため、実際に生まれる日時まではわからない。
父親は定年後、再就職していてほぼいないし、近くに住む妹も働いている。ただ幸いなことに、まだこの頃の母親は食事や排泄、入浴や睡眠は自分でできていた。
そして陣痛が来たとき、松永さんは産院へ向かいながら、デイサービスに電話をする。
「陣痛が来たので病院に向かいます。あとのことはよろしくお願いします」
2018年9月、無事長男を出産。
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