「買い占め」に走る人々を突き動かす強烈な不安 ほとんど意味がなくても「すがる」ほかない

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かつて社会学者のジグムント・バウマンは、「不確実性という悪魔」から逃避する手段としての消費に着目した。「悪霊払いとしてのショッピング」である。

バウマンは、「買い物癖、買い物中毒には、不安、不信というかたちで、夜な夜な出没する身の毛のよだつ妖怪の、日中おこなわれる悪霊払い(エクソシズム)の儀式という機能がふくまれているにちがいない」と主張した。「この儀式は、まさに、日ごとに実行される。それは、たとえば、スーパーの棚に陳列された商品のほとんどには、『賞味期限』があるからだし、客を商店にひきつけるそもそもの理由である不安を、商品が一度に根こそぎ解消するとまではいかないからだ」と。

儀式の実行事態に意味がある

「あきらかな不完全性、欠陥にもかかわらず、悪霊払いが重要であり、続けられているのは、その不思議な性質のためだろう。悪霊払いが有効で、好ましいのは、実際に妖怪を退治できるからでなく(実際、退治されたことなどめったにない)、儀式の実行自体に意味があるからである。悪霊払いがおこなわれているかぎり、妖怪にもまだ敵が残ることになる。消費者社会では、あらゆることが素人大工的なやり方でなされる。だとすれば、買い物以上に、素人大工的悪霊払いの必要条件をそろえたものはないだろう」(『リキッド・モダニティ 液状化する社会』森田典正訳、大月書店)

今まさに「身の毛のよだつ妖怪」となっているのは、「新型コロナウイルスに侵食される世界」そのものである。

どのような些細な出来事にも不吉な兆候が見いだせる「不確実性という悪魔」に覆われた現代において、「未知のウイルスのパンデミック」という巨大な不確実性による長期的な抑圧は、わたしたちにさらなる「消費による悪霊払い」を行わせる絶好の素地を提供しているのだ。「儀式の実行自体に意味がある」ことに本質があるのだから、究極的にはどのような商品の購入も「不確実性を遠ざける」効果が期待できるといえる。

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だが、そのような「悪霊払い」も商品の供給が途切れないことに決定的に依存している。恐るべきことに、度が過ぎた「悪霊払い」(パニック買い)によって日々の「悪霊払い」(ショッピング)までが支障を来たす始末になっているのである。

しかも、そこには「万人の万人に対する闘争」(トマス・ホッブズ)が立ち現れ、「むき出しの消費者」が商品を奪い合っている。そこに被害者になり得る「他者」の存在が入り込む余地はない。つまり、わたしたちの周りにはすでに「荒野のような社会」が広がっているのである。これはパンデミックが終息してもまったく変わらないものだ。

真鍋 厚 評論家、著述家

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まなべ・あつし / Atsushi Manabe

1979年、奈良県生まれ。大阪芸術大学大学院修士課程修了。出版社に勤める傍ら評論活動を展開。 単著に『テロリスト・ワールド』(現代書館)、『不寛容という不安』(彩流社)。(写真撮影:長谷部ナオキチ)

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