五輪延期で日本人が考えるべきスポーツの意義 1年程度の延期は史上初、世界中に衝撃走る
ついに、というべきか、ようやく、というべきか――。
IOC(国際オリンピック委員会)は東京オリンピック、パラリンピックの延期を承認すると発表した。五輪の延期は史上初である。新型コロナウイルスのパンデミック(世界的感染爆発)が加速する中で、遅きに失した感なきにしも、である。
東京2020大会の開催が決まってから約7年、日本は「(高度経済成長の起爆剤になった)1964年の東京大会の夢よもう一度」とばかりに経済効果を狙ってさまざまな投資を始めた。
築地市場の移転から高輪ゲートウェイ駅の新設まで、東京の街は東京オリンピックのために変貌した。エンブレムをめぐる騒動も、今となっては遠い昔のようだが、当初選ばれたデザインの盗作疑惑が起こり、はっきりしないままに2回目のデザイン募集があって決定した。この騒ぎも異様だった。
東京オリパラ決定当時の東京都知事はスキャンダルにまみれ辞任。続いて立った都知事も公私混同問題で辞任、代わって就任した現都知事のもとでも、マラソン競技の開催地変更(札幌)というIOCの力技になすすべがなかったのは昨年11月の出来事だ。
国内のプロスポーツであるプロ野球もJリーグもオリパラのために、大事な7月8月の日程を空けた。ヤクルトスワローズは、本拠地の神宮球場を「機材置き場」にするために提供した。
安倍晋三首相も(そして、森喜朗組織委員会会長も)、自身の治世の掉尾を「東京オリンピック、パラリンピックで飾りたい」という思いを抱いているだろう。
利権にまみれてしまった東京五輪
さまざまな希望や期待、思惑、利権をはらんでここまで膨らみ続けた「東京オリンピック、パラリンピック」。今さら軽々に中止など考えられないというところだろう。IOCも日本政府も中止はないというところで一致している。
平和を象徴するスポーツの祭典という言葉は聞こえがいいが、結局は数週間の「運動会」のために、日本はここまでやってきたのだ。
IOCは当初、延期も考えられないというスタンスだった。しかし、世界的な感染拡大を受け、考えを翻意したIOCは「金主」というべきアメリカのNBCをはじめとする世界の放送局(ライツホルダー)、スポンサーなどの利害関係者との調整を経て、延期の結論を出した。
トーマス・バッハ会長は「東京オリンピック、パラリンピックは予定どおり」と繰り返していた時期から、すでに落としどころを探っていたとみられる。
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