熱帯林に消えた死の鉄路、泰緬鉄道の戦後75年 「平和と繁栄のルート」への再生も可能だ
アパロンの約35㎞西には、モン族やカレン族が暮らすアナンクインという集落がある。大戦中はアパロンと並ぶ大規模な軍用駅が置かれていた。
民家と食堂が並ぶ道路脇の集落から草地を10分ほど歩くと、昼間も薄暗い森に着く。中に入ってすぐ、てっぺんに小さなストゥーパ(仏塔)が据えられた高さ2m以上の橋脚が鎮座していた。これも泰緬鉄道の遺構だ。
道案内してくれた30代のカレン族の女性は、「この辺りは、大戦中は川だった。戦争が終わったあとに流れがよそへ移っていった」と話した。近くに大きな川がある。当時はその川か支流がここを流れ、日本軍は橋を建設した――。密林に大きな橋脚が建っているのは、そうした理由からだろう。
では、橋脚の頂部にストゥーパが置かれているのはなぜか――。「ある僧侶が35年ほど前、この構造物を壊さないように、と村人に据えさせた」と教えてくれた。平和の祈願だったのか、僧侶の意図は今ではわからない。ただ、その頃はアナンクイン一帯も内戦の大混乱に巻き込まれていた。KNUとNMSPは国軍と激しく交戦し、この女性も子どもの頃、銃声が響く中を親と逃げ回った。学校に通えなかったことが、今でも無念だと語った。
メイサンチーさんという90代になるモン族の女性は、この地で80年近く前、日本の兵隊向けに小さな食堂を姉妹で営んでいた。今はタンビュザヤ近郊の村に住む。「姉がモーラミャインまで買い出しに行き、日本兵に菓子やたばこを売り歩いた。アナンクインにはかなりの数の日本兵が駐屯していた」という。英軍の空襲にも遭遇したが、無事だった。「あの頃は暮らしに余裕ができて、いい思い出です」と語った。
日本軍の温泉が残るウエガレエ
泰緬鉄道は、山の間を平野へと続く緩やかな丘陵に沿って敷かれた。今回パヤトンズから下ってきた道も、勾配はほとんど感じなかった。平野に下りるとウエガレエという集落がある。そこの国軍施設の敷地内に、大戦中は駅が置かれていた。
ウエガレエには3年前、温泉レジャー施設が開業し、園内はプール、レストラン、ヤシの木々などがリゾートの雰囲気を演出している。施設のマネジャーの中年男性によると、ここで湧いている温泉は日本軍が泰緬鉄道の建設時に掘ったものだ。行政側が示した開発の条件は、当時の施設を保存することだった。
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