私鉄は「梅田」なのに、なぜJRだけが「大阪」駅? 環状線の内側に巨大ターミナルがある不思議
JR大阪駅の周囲を見渡すと、私鉄や地下鉄の駅がいくつもある。面白いことにそれらの駅名は、大阪駅ではなくすべて「梅田」がつく駅名になっている。阪急と阪神、地下鉄御堂筋線は梅田駅で、地下鉄谷町線は東梅田駅、地下鉄四つ橋線は西梅田駅だ。
大阪について明るくない人から見れば、この駅名の違いが非常にわかりにくい。同じ場所にもかかわらず、なぜJRと私鉄(と地下鉄)で駅名が違うのだろうか。これはどうやら大阪に初めて鉄道ができたときにさかのぼる。
大阪駅が造られたのは、1874(明治7)年。日本初の鉄道が東京の新橋―横浜間で開通した2年後の大阪ー神戸間開通の時である。場所は現在の大阪駅より少し西寄りの中央郵便局辺りにあったという。当初、市の中心部の堂島辺りに敷設を計画していたが、付近の住民に火事が起こると猛反対されたため、やむなく町外れの田圃やあぜ道のある梅田に造られた。
これが大阪で初めて開設された駅だったが、実はその前に別の鉄道の敷設計画があった。1869(明治2)年にアメリカの商社が大阪―神戸間の敷設を申請し、「大阪駅」ではほぼ内定していたのである。しかし明治政府は、鉄道は政府がやるべき事業であるとして許可しなかったのだ。
その5年後、政府の手によって大阪―神戸間が開通して大阪駅ができた。だが当時の大阪の人々は、この駅を大阪駅と呼ばずにもっぱら「梅田駅」「梅田ステンショ」と呼ぶようになった。谷川彰英氏著『大阪「駅名」の謎』によると、当時の大阪の人々は、自分たちが民間で鉄道を敷こうとしたのを拒否され、政府が主導で鉄道を敷いたのが面白くなかったらしい。そこで政府に対する反発から、「大阪駅」の名前を拒否して、あえて地元で親しまれていた「梅田」の名で呼んだのだという。
「梅田」は政府への反発心?
その後、大阪駅一帯に乗り入れた鉄道は、ことごとく「梅田」を名乗った。大阪駅前に市電が通るようになったのは1908(明治41)年である。この時停留場の名前を市民に親しまれやすいように、わざと梅田停車場にした。その2年後には、阪急電鉄の前身である箕面有馬電気軌道が梅田駅を開設。さらに1914(大正3)年には阪神電鉄が乗り入れ、こちらも梅田駅を名乗った。その後は、前述のように大阪市営地下鉄の各路線が梅田、東梅田、西梅田と、次々と「梅田」を冠した駅を開設して現在に至っている。
一連の流れを読み解くと、明治の終わり頃、私鉄が次々と大阪の中心地に沿線を延ばそうとした際、各社は政府への反発心からか、「大阪駅」の名前を使うことに難色を示したのだろう。大阪駅の近くに残る梅田駅の駅名は、鉄道開通への地元の人々の思いが政府への反骨心となって表れたものだったのかもしれない。
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