「歩くパワースポット」になれた43歳男の幸福論

SHOCK EYE「大切なものって意外と少ない」

居場所を求めるなかで見つけた音楽は、SHOCK EYEさんにとっての希望だったという。音楽を通じてたくさんの仲間と出会った。さらに友人に連れて行かれたジャマイカでの短期留学でレゲエミュージックを知り、衝撃を受けたという。以来、レゲエにのめり込んでいった。

「とはいえDJである限りは1人での活動がメインで、寂しいじゃないですか。それで友人のグループに入ることにしたんです」。

プロを目指すという自覚も芽生えていなかったけれど、僕には音楽しかないと思っていた(写真:OCEANS)

グループに加入したことで初めてボーカルとして歌うことになったが、最初は単なる内輪ウケのものでしかなく、まだまだプロを目指すという自覚も芽生えていなかった。

「ひどいもんでしたよ、一応自分で歌詞も書いてたんですけど、クラブで歌っても全然盛り上がらない。近しい人間だけですよね、わー!って言ってくれるのは。今考えるとよくこれでマイク握ったなって。でも僕には音楽しかない、とは思っていましたね」。

10代後半から20代前半、日雇いの仕事をしながら、仲間と集まり音楽を作る。この曖昧で自由な時間が永遠に続くような気がしていた。

彼女から「音楽いつまで続けるの?」

ターンテーブルを手にした10代から、グループとしてイベントやクラブに顔を出すなど地道に活動ができるようになった20代前半。しかしSHOCK EYEさんのなかには焦りも生まれ始めていた。

「ライバルがどんどん大きなイベントに呼ばれて、メンバーも僕より本気で音楽をやっていた。でも僕はほかの仕事を辞めて音楽活動に専念する自信がなかったんです」。

自分には音楽しかない、そう感じていた気持ちに嘘はないが、音楽一本で挑戦することは怖かった。徐々に仲間とも温度差が生まれ始め、そんな自分が嫌で無為に時間を過ごすことも増えたという。どこかで仕事を言い訳にして、音楽に本気で向き合うことを躊躇っていた。

「仕事があるから、ってイベントの誘いを断ったりしていた。でもそうしてる間も置いていかれるような気がして悔しいんですよ、本当は。当時、職場の僕のあだ名が『レゲエ』で、すごい嫌だったけど、本気で音楽やってると胸を張って言えなくて、いつもヘラヘラしてた。自分を信じきれていなかったんです」。

仕事も音楽も中途半端なまま、仲間との差は開いていく。そこで流れを変えたのは、現在の妻である彼女の言葉だった。

「僕が24歳のときに出会って、四畳半で一緒に暮らしていました。あるとき彼女が『音楽はいつまで続けるの?』と聞いてきたんです。お金もなかったし、僕は中途半端な生活を続けていて喧嘩がすごく増えていた時期でした。それで『26歳までにデビューできなかったらやめる』と約束したんです」。

そう決意できたのは、彼女の後押しもあったからだった。

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