6年目の沖縄映画祭が占う吉本興業の"脱皮" 地元への浸透に手応え、課題は発信力の向上
一方で、沖縄映画祭といえば、よしもと所属のお笑い芸人が大挙して押し寄せ、映画祭のイベントだけでなく、便乗的にテレビ番組のロケなどをするというイメージも根強い。
映画関係者の間では、「映画祭ではない」「よしもとのためのイベント」という批判が少なくない。地元でも「突然本土から鳴り物入りでやってきて、騒ぐだけ騒いで、数年経ったらフェードアウトするのでは」と、冷めた目で見る人が多かった。
しかし、継続は力なり。「地元のために」というよしもとの姿勢が徐々に評価されている。「毎年3月は映画祭、というイメージが定着しつつある」と、沖縄観光コンベンションビューローの上原良幸会長は語る。
東日本大震災が転換点
大きな転換点となったのは2011年。東日本大震災の直後で世間でもイベントの自粛が叫ばれた最中、大崎社長は「地元の人も楽しみにしていたし、沖縄の地からエールを送る意味もある」と開催を決断。震災後初のエンタメイベントに対して賛否両論が巻き起こったが、継続を貫いたよしもとの姿勢に地元の心は大きく動かされた。
協力体制も徐々に整ってきた。一昨年には、民間企業団体などが中心となって沖縄国際映画祭協力会を設立した。
昨年は、メイン会場の沖縄コンベンションセンターがある宜野湾市の観光振興協会や商工会などが「ぎのわん応援団」を設立。映画祭のポスター掲出や配布やボランティアの募集、周辺の清掃といったサポート活動を始めた。
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