「レンタルなんもしない人」が絶対頑張らない訳 お金や友だちは本当に重要なのか
話していて思い出したのですが、僕と『不登校新聞』の共通点を探すならば、僕も大学生のとき、ひきこもりのような状態を経験したことがありました。
小学生のころから学校へ行くこと自体が好きではありませんでした。ただ、勉強は得意だったので、テストで点数を取ることは好きでした。
先生から嫌われようが友だちが少なかろうが、「自分はテストで100点取れるから文句あるか」と思っていました。僕にとって勉強は心の拠り所だったんです。
「そのためなら」との思いで、毎朝起きるのがどんなにつらくても、学校へ行っていました。
ところが志望校の大学へ入ったとたん、まわりは優秀な人だらけになってしまい、自分がこれまで思っていた「勉強ができる人はエラい」という世界観が崩れたんです。自分のアイデンティティーを失ってしまって、しんどくなりました。
一方で、当時はインターネットにハマっていて、「ネット大喜利」に熱中していました。
ネット大喜利とはその名のとおり、インターネットのサイト上で出されたお題に対して回答を投稿し、その面白さを競い合うというものです。
僕はネット大喜利がけっこう強いほうだったんですよ。ネットのなかで面白さを競う場で、そこで得た評価を根拠にして、再び自信を持てた。
実生活はうまくできなくても、本当の自分はネットのなかにあると思うことで、気持ちを保っていたんです。
街ですれちがう社会人や学生に
ですがネットにハマりすぎた結果、大学のレポートが提出しきれなくなり、3年生のとき一度、留年してしまいました。
そのころが、いちばん心が荒んでいた時期でした。なんにも希望がなかった。週2回から週3回ぐらい、塾でバイトをしていたので、そのときだけ外出して、あとは家にひきこもる状態が続きました。
普通に社会生活を送っている人たちが帰宅する時間にバイトが始まるのですが、そうするとスーツ姿のサラリーマンや授業を終えた大学生とすれちがう。それがすごくつらかったですね。
その後は理系の大学院へ進学し、出版社に就職したのですが、僕には合わなくて退職しました。
フリーランスのライターをしていたこともありましたが、何かすることに対してストレスが強くて、すぐに行き詰まる。結局すべてを投げ出しました。