大阪心斎橋に「夜だけ開く診療所」ができたワケ 左半身麻痺の精神科医が目指すもの
5年前にはホノルルマラソンに挑戦。走ることはできないが、見事に13時間かかって“完歩”した。
倒れた1年半後に非常勤の医師として復帰。いくつかの精神科病院で働きながら、夜の診療所開設に向けて準備を始めた。
「数年早いんちゃうか」
両親はそろって反対した。まだ29歳だった息子の人生経験の不足を心配したのだが、忠告は聞かず勝手に動き始めてしまったと、父の信之さんは苦笑する。
片上さんは心斎橋に掘り出し物の賃貸物件を見つけると、大学時代のサークルの先輩で不動産・リフォーム業に携わる圓藤嘉昭さん(38歳)に連絡を入れた。圓藤さんは知り合いのリフォーム会社を紹介し、何かあれば自分が間に入れるようにした。
「片上君は昔からノリのいいところがあるので、深く考えずに勢いで決めてしまったら危ないなと思って。横について見てあげたいというお兄ちゃん心です。何でも臆さずチャレンジするタイプなので、応援したくなるんですよ」
診療所の名前のアウル(OWL)はフクロウという意味だ。夜行性のフクロウは世界各国で「森の守り神」として珍重されている。診療所が「夜の守り神」になればという思いを込めて、アウルクリニックと名づけた。
クリニックの入り口にフクロウのイラストの入った看板がある。これには裏話があると圓藤さんが教えてくれた。
「彼には多少、あつかましいところもあって(笑)。設計士さんに夜の診療所を開く意義を説明して、フクロウのイラストを描いてくださいと無理にお願いしたんです。でも、そこが彼の人柄なんでしょうね。設計士さんはイラストレーターじゃないのに、ノリノリで20個くらい図案を描いてくれて、そのなかから選んだんですよ」
心斎橋の守り神になりたい
2014年7月30日。30歳の誕生日に片上さんはアウルクリニックを開院した。
ところが、まるで患者が来ない……。
「1年間くらいは患者が1人も来ないボウズの日がほとんどで、“近くにいます。電話ください”と携帯番号をドアに貼って、毎日、飲みに行ってました(笑)。昼間働いてたから、食べていくのにはまったく困ってなかったし。経済的な心配を一切せんでいいってのは、遊びのノリでできる本質でしょうね」
現在、クリニックで心理部主任を務める臨床心理士の佐々木蒋人さん(32)は開院当初の苦労を知っている。当時は大学院生で、よく手伝いに来ていた。
赤字続きでも片上さんは落ち込んだりせず、界隈のいろいろな店でご飯を食べつつ、パンフレットを置いてもらいクリニックを宣伝。「心斎橋の守り神になりたい」と口にしていたのを、佐々木さんは覚えている。