大阪心斎橋に「夜だけ開く診療所」ができたワケ 左半身麻痺の精神科医が目指すもの
手術が終わり病室で目が覚めると、左半身がまったく動かない。感覚もないし、ベッドで左足を立てるとストンと落ちる─。
「ああ、終わったな」
一生車椅子だと覚悟した片上さんは、そばにいた母親に弱音を吐いた。
「やりたいことやったから、もう、ええねん」
母はこう励ましてくれた。
「あんたは運のいい子やから、いける」
大学時代のサーフィンのサークルの先輩で、現在は淀川キリスト教病院救急科副部長の夏川知輝さん(44歳)は見舞いに行き、あまりの変わりように目を疑ったそうだ。
「発症前の徹っちゃんはテニスもしーの、僕らと波乗りもしーの、もう毎日忙しい、イケイケの元気すぎる子やったんですよ。それが、魂が抜けたかのように放心して、病室にぽつーんと座っていて。1時間くらい病室にいましたが、徹っちゃんが発した言葉は“はい、ああ”くらいでしたから」
意気消沈ぶりに主治医も心配した。以前、同じような状態の若い患者が自殺してしまったからだ。だが、父の信之さんは「うちの息子は大丈夫」と返答したという。
「私自身、あまり悲観的にならない、楽観的なタイプですけど、息子もそんな性格を受け継いでいると思います。一時は落ち込んだけど、本人もここがいちばんの頑張り時やと思って耐え抜いたんでしょう。病気になったときは、回復しようというモチベーションがいちばん大事なので」
自分の歩く姿を「ゾンビみたい」
片上さんが立ち直るのに役立ったのは、研修医時代に精神科の指導医に教わった認知行動療法だった。
「落ち込んでも、つねにその反対の可能性を考えるんです。僕の場合、人生終わったなと思ったけど、これでたぶん生活保護で暮らせる。楽やなーと(笑)。そう思わなあかんって、言い聞かせてた感じですかね」
入院生活は8カ月に及んだ。退院後もリハビリを続けて歩けるようにはなったが、左半身は麻痺したままで動きは遅い。身体の左側で起こっていることが瞬時に理解できない注意障がいもある。
日々の生活でも、左に少し重心をかけて椅子から立ち上がる、動かない左手を伸ばすなど、こまめにリハビリ。休みの日にはジムで筋トレをしている。
足を引きずるように歩く姿を自ら「ゾンビみたい」と笑い飛ばすほど、突き抜けて明るい片上さん。