大阪心斎橋に「夜だけ開く診療所」ができたワケ 左半身麻痺の精神科医が目指すもの
中学からは中高一貫の進学校の六甲学院に進んだ。地元にあるカトリック系の男子校で、校則も厳しい。
「この間、同窓会があって、“ご迷惑をおかけしました”と謝ってきました(笑)。授業を妨害して騒いだりしていたので、うるさかったん違いますか」
走るのが速く、中学まではサッカー部だったが、高校ではテニス部に入った。
「テニスのほうがモテるかなと思って。そういえば、高校生のときコーチの女性とも、その友達とも付き合ったことあるな。超チャラい。ハハハハハ」
精神科医に興味を持ったのもこのころだ。だが学力が足りず、悩んだ末に選んだのは建築家への道。
幼いころはレゴブロックで遊んだり、授業中に建物の立体図を描いたりしており、ランドスケープデザインにも惹かれていた。
現役で東京大学理科一類を受験したが、不合格。浪人時代に東大の受験技法を書いた本を読んで衝撃を受けた。寝る間も惜しんで猛勉強をして成績がグンと伸びた。翌年のセンター試験で「やっぱ、医学部行けるな」と確信。奈良県立医科大学に合格した。
くも膜下出血で10時間の手術
大学では体育会のテニス部と大阪大学のサーフィンのサークルに所属。思う存分、学生生活を謳歌した。
「部活あるし、金ないし、テストあるし……、でも、遊び倒してましたね(笑)」
医学部を卒業後は、大阪府済生会野江病院で研修医として働いた。
突然、人生が暗転したのは、2012年3月。研修医修了を間近に控え、友人と鍋会をしていて、頭をバットで殴打されたような激痛に襲われた。バタンと倒れ、5分後に意識が戻った。
「痛い、痛い、痛い! 救急車呼んで!」
一緒にいたサークルの女性はパニックになって叫ぶ。
「救急車って何?」
横にいた循環器内科の研修医が「大丈夫や」と言いながら気道確保してくれた。
神戸市立医療センター中央市民病院に搬送され、10時間の大手術を受けた。脳動脈瘤の破裂によるくも膜下出血で、発症すると3割が死亡する。再出血すると、さらに半数が死亡する怖い病気で、片上さんも入院中に再出血して死の淵まで行った。
「幸い、NHKの番組『プロフェッショナル』でも紹介された脳神経外科医の坂井信幸先生が当時は親父の同僚で、夜中に手術してくださったんです。これで、僕がいつかプロフェッショナルに出てバトンをつなげたら、めっちゃカッコよくないですか(笑)」