残るは建機と金属、日立の「選択と集中」最終章 日立ハイテクを5300億円で完全子会社化

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だが、ホンダ系3社との統合について、あるアナリストは「自動車事業は変動リスクが高く競争も厳しい。遠ざけるべきだったので(今回の統合は)違和感がある」と指摘する。

日立の自動車事業は利益率が低く、ホンダ系3社との統合により、日立の売上高に占める自動車部品の割合は1割から2割へ高まる。これに対して、日立の東原敏昭社長は「車は今後(電動化部品を介して)ソフトウエア化していく。そこでルマーダを使って走行データなどの情報を集中し解析すれば、故障予知などの付加価値が提供できる。そのためにはデータが必要でスケールを大きくしないといけない」と話す。

7873億円の巨額赤字で変わり始めた

一方、ルマーダとの相乗効果が薄い事業は大胆に切り離す動きが鮮明になっている。2019年12月には、日立「御三家」の一角で、日立が約51%出資する上場子会社の日立化成を昭和電工に売却することを決めた。同月には画像診断機器事業を富士フイルムホールディングスへ1790億円で売却。三菱重工業との合弁会社・三菱日立パワーシステムズ(MHPS)が南アフリカで手がける火力発電所のボイラー工事の費用負担をめぐり、三菱重工業とも和解した。2000億円の和解金を支払った上でMHPSの全株式も手放し、エネルギー事業の要だった火力発電機器事業から撤退した。

日立が変わり始めたのはリーマンショックのあおりを受け、2009年3月期に日本製造業として過去最悪となる7873億円の最終赤字を計上したときだ。「もう一度、リーマン級のショックが来ていたら日立はつぶれていたかもしれない」。強い危機感を持って日立の再建を担ったのが、2003年に副社長を退任してグループ会社の会長に転じていた、当時69歳の川村隆氏(現在は東京電力ホールディングス会長)だった。

川村氏は2009年に日立の会長兼社長に就任すると、日立の「総花的経営」と決別して社会インフラ事業に集中すると宣言。携帯電話やパソコンなどで次々とリストラを断行し、後を継いだ中西宏明氏(現在は日立会長および経団連会長)も、アメリカのIBMから買収したハードディスク駆動装置事業を売却するなど、川村路線を引き継いだ。そして、2014年から社長のバトンを受けたのが東原社長だ。川村・中西路線を踏襲しつつ、ルマーダ戦略を打ち出した。ルマーダを武器に社会インフラで「世界の日立」を目指すべく改革の総仕上げを担っている。

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