新型肺炎を武漢で真っ先に告発した医師の悲運 12月に警告も、当局から処罰され本人も感染

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財新記者:先ほどグループチャットにてスクリーンショットを拡散しないように強調したとおっしゃっていましたが、結果広まってしまいました。これについてはどのようにお考えですか?

李医師:当日の夜、何人もがスクリーンショットを撮って私に質問を投げかけてきました。しかも彼らのスクリーンショットは完全なものではありませんでした。本来「SARSの患者が7名確認された」という文言の後に、さらにそれがコロナウイルスであり分類分けされている最中だということも強調したのですが、ネットで広まったスクリーンショットにはその文言が含まれていませんでした。

それを見かけた時はとても不運に感じ、恐らく処罰を受けるだろうとも考えました。それ自体がセンシティブな情報でしたし、ちょうど“両会(編集注:人民代表大会と政治協商会議)”が開かれていてみんなが敏感になっている時期でもありました。スクリーンショットにモザイク処理も施されていなかったので初めは怒りを感じましたが、今では少し落ち着いています。みんな焦りを感じ、家族や友人に知らせたかったのでしょう。

財新記者:その後、処罰は受けたのでしょうか?

李医師:そのスクリーンショットが拡散された夜(12月31日)の1時半、武漢衛生健康委員会で会議が行われ、われわれの病院の医院長に呼び出され事情を聞かれました。夜が明けて出勤した後、再び監察科で事情聴取を受けました。私自身の状況や情報源について、自分の過ちに気がついたかなどの質問をされました。

その後はまさか警察から連絡が来るとは思いもしませんでした。1月3日、電話が掛かってきて派出所に出向き「訓戒書」に署名するように指示されました。それまで警察とは関わったこともなかったので、とても心配しました。

李文亮医師が署名した「訓戒書」。文末にある2019年は2020年の誤り(写真:取材対象者が財新に提供)

署名をしなければこの状況を脱せないと思い、署名をしに行ったのですが、この件については家族にも伝えませんでした。

当時はとても不安で病院から処罰を受けないか、将来の出世に影響しないかなどと考えていたんです。

その後、友人がその話を聞きつけ記者を紹介してくれたので、その件について話しました。

財新記者:警察による最初の通達は1月1日に行われています。その当時すでにデマを流布したとされる8名は召喚されていました。これは李さんがその8名には入っていないことを意味するのではないですか?

李医師:それはよくわかりません。確定は出来ませんし、あなたがおっしゃっていることもあり得ます。今はただただ早く健康を取り戻したいです。

健全な社会に必要なのはさまざまな声だ

財新記者:警察があなたに渡した「訓戒書」にはネット上に不正確な情報を流したとありました。また、当時はあなたがデマを流したと考える人もいました。それについてはどうお考えですか?

李医師:私はデマだとは思いません。なぜなら報告書にはきっぱりとSARSと書かれていたからです。それに私は単に友人達に注意喚起をしたかっただけで、パニックを引き起こしたかった訳ではありません(当時李医師はグループチャット内に検査報告書をアップロードしている。その臨床病原体スクリーニング検査の結果によるとSARSコロナウイルス、緑膿菌、その他46種の口腔・気道の細菌が”高い信頼性”を持って陽性であることが示されている――財新編集部注)。

財新記者:デマではないとのお考えであれば、今後法的な手段でその主張を伝えようという気持ちはありますか?

李医師:それはありません。司法的なプロセスは怖いし面倒でもあります。公安当局の手を煩わせたくはありませんし、私自身も手間を掛けたくありません。人々が真相を知ることこそが大切で、自分の汚名を返上することはそれほど重要なことではありません。正義は人々の心の中にあると思います。それから私の医師ライセンスが取り消されたのではないかとも囁かれていますが、事実ではありません。そこははっきりとさせておきたいです!

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