Facebookを去った「もう1人のザッカーバーグ」 「富や名声」よりも人生で大切なことを考えた
今ならわかる。私のあらゆるプロジェクトに、歌やコンサートといった身体で表現する芸術が必ずと言っていいほど入り込んでいたのは、そのせいだったのだと。
ハッカソンで「フィードボム」を思いついたように、私にとってアートとは、まず頭に浮かぶもの、いつでもそばにあるものだった。フェイスブック・ライブを立ち上げたのも、アートの新しいチャンネルを作りたいという、個人的な欲求が動機として働いていたのだろう。
シリコンバレーでも出る杭は打たれる
そうした衝動を、私は懸命に抑え込もうとした。シリコンバレーでは、自分の興した会社に100パーセント集中することを求められる。
そうしなければ、「偽物の起業家」──リーダーになりたいが、そのために必要な資質を備えていない者──と見なされる。副業や趣味などもってのほかで、ふまじめで身勝手な、起業家にあるまじきことをする人間だと烙印を押される。しかも女性の場合は、そうした傾向が10倍に、さらに名字がザッカーバーグだと(!)100倍に拡大されて解釈されるのだ。
当時のテック業界は(今でもそうだが)、出る杭を打とうとする風潮が強かった。独自の価値を生み出したり、自身のブランド力を高めたりするアイデアが豊富なほど注目は集まるが、そうした「出る杭」でいると、やがて容赦なくたたきのめされる。
それが私にも起きていた。自分を前面に出すほど、影も濃くなった。「マーク・ザッカーバーグの姉は歌手気取り」という嘲笑的な記事がネットにあふれた。メンター(助言・指導する人)たちは私にこんな忠告をした。テック業界で、とくに女性として成功したければ、「面白くならない」ほうがいいと。
「面白くなるな」だなんて! これまで頑張ってきたのは、目立たない人間になるため? その間つぎ込んだ労力は報われないままで?
私はここに多くの企業の誤解があると思う。企業側は、従業員が働くのは単にお金のためだと思っている。ではためしに、職場にお金をばらまいてみればいい。みんなそれまでどおり、淡々と仕事を続けるだろう。働く動機がなくなるまで。
それはなぜか。私たちが人間だからだ。私たちが必死で働くのは、お金のためだけではない。あらゆる理由のために、私たちは働いている。評価されるため、プライドのため、世間に認められるため、何か大きなものの一部であると感じるため、数秒の名声や栄光のため、勤勉をモットーとしているため、そのほかさまざまな理由のために。
そのすべてが、私がシリコンバレーを離れた理由だった。
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