ポランスキーを貶(おとし)めたアメリカの民主主義--イアン・ブルマ 米バード大学教授/ジャーナリスト
このことは、フランスがアメリカよりも文明化されていることを意味している。アメリカ人は、著名な芸術家に対してそれほど敬意を示さない。不法な行為をすれば、裁判所やメディアによって特に厳しい取り扱いを受ける。これは一種のポピュリズムである。すなわち、最も著名な人物も自分たちと変わるところはないということである。そうすることで新聞の売り上げは伸び、サイトへのアクセスも増えるのである。
トクヴィルが指摘した米国社会の醜い側面
特に忌まわしい例は、無声映画時代のハリウッドの偉大な喜劇俳優であったファティ・アーバックルの事件だ。21年に少女が、彼が主催したパーティで強姦されたと訴え、それから数日後に死亡する事件が起こった。彼は強姦と殺人で有罪判決を受け、3度目の裁判でやっと無罪が認められた。訴えた少女はよく知られた恐喝者で、性的な事柄とは関係ない要因で死亡したのである。しかし、この事件でアーバックルの人生は破滅してしまった。野心的な検事とスキャンダルで金儲けをしようとした大衆メディアの餌食になったのだ。
アーバックルと違ってポランスキーは無罪ではないが、彼もまた有名人を蹴落とそうとする野心的な裁判官とスキャンダルに飢えたメディアの犠牲者であった。アメリカはフランスほど文明化されていないが、フランスよりも民主的である。法の下における平等は民主国家の優れた特徴であるが、判事とマスコミが大衆に迎合して能力ある芸術家を引きずり下ろそうと熱くなるのは、民主主義の醜い面である。
『アメリカの民主政治』の著者で、フランスの偉大な政治思想家アレクシス・ド・トクヴィルは、1830年代にアメリカの民主主義が持つ醜い側面を見て、「アメリカ人は平等に対してあまりにも強い情熱を抱くあまり、自由で不平等であるよりも、奴隷でも平等であるほうを重視する」と書いている。彼はまた、アメリカ型の民主主義が払う代償は芸術的な凡庸さと、大衆への迎合であるとも書いている。