ポランスキーを貶(おとし)めたアメリカの民主主義--イアン・ブルマ 米バード大学教授/ジャーナリスト
これは誇張であるが、トクヴィルの指摘は的を射ている。偉大な芸術家に対して過大な敬意を払うことが貴族的なルーツを持つ社会の逃れられない特徴であるとするなら、偉大な芸術家に対してほとんど敬意を払わないことは偏狭な俗物主義にとらわれた社会の特徴である。
ではポランスキーはどうすべきなのか。もし世界が理想的な場所であると思うならば、ロスに戻って裁判所に出頭し、裁判が終わることを願うことだ。その可能性がまったくないわけではない。アメリカ人が寛大になるかもしれないからだ。そうなれば、彼は残りの人生を好きな場所で暮らすことができるだろう。ただ、世界は理想的ではない。彼が投獄されるリスクは極めて高い。彼が法廷で裁かれることに抵抗すると決めたなら、それは無理からぬことだ。しかし、その決意が賞賛に値するかどうかは、また別の問題である。
Ian Buruma
1951年オランダ生まれ。70~75年にライデン大学で中国文学を、75~77年に日本大学芸術学部で日本映画を学ぶ。2003年より米バード大学教授。著書は『反西洋思想』(新潮新書)、『近代日本の誕生』(クロノス選書)など多数。
(photo:Roman Polanski with Crystal Globe, Film Servis Festival Karlovy Vary)
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